12月7日月曜日、天気は晴れで気温も8度まで上昇し、外を歩く分にはちょうどいい気温で快適な冬晴れの日です。もちろん雪はまったくありません。
今回が東北の旅の最終回ですが、今年はコロナ禍の中でも6月から9月にかけて道内を3回、秋10月は東北を旅しましたが、すべて車中泊の旅。グーグルのマップタイムラインによると、今年の旅した距離は地球一周分の19%、総距離7485km、300市町村を周り1288か所のスポットを見学した、と報告がありました。
昨年までは、人生初の入院・手術を経験し旅が1回も出来なかった2017年を除いて、平均して年1万kmを走っているから、やはりコロナ禍で春先に出かけられなかったことが少ない距離に表れています。
来年はどうなることでしょうか?コロナのワクチンが開発され、感染が収束して誰でもが安心して生活できるように祈りたいです。
さて、32回目の最初の写真は、小さな観音堂から。

津軽三十三観音霊場の17番札所の春日内(はるひない)観音堂で、江戸時代の初期、1614年に観音堂として建て直されたといいますが、明治に入り神仏分離令で廃止、大正時代に再建されたものです。

そばにあった鳥居は、多分明治時代初期の神仏分離で神社の形を見せるために造られたのでしょうか?
戊辰戦争で勝利した新政府軍は、1868年に天皇の神権的権威を高めるため「祭政一致」をスローガンに神仏分離令を出します。その結果、寺院からの神社の独立や神社からの仏教的要素が一掃が進められ、激しい廃仏毀釈運動(全国で仏像や仏具が破壊されました)に発展しました。この動きは民衆の素朴な宗教施設にまで及んだため、廃仏反対の動きや信教の自由の主張が高まったというから、今では信じられない時代だったのです。

市浦村は、2005年3月28日に金木町とともに五所川原市に併合されて、今はありません。でも、15年経ってもマンホールに村の形跡が見られるのはうれしいですね。

手前に車を停めて、十三湖の中にある小島に木造の橋を歩いて渡ります。距離は150mくらいか200mはなかったような。島に渡る目的は、市浦歴史民俗資料館を見学するため。入館料は大人300円。

十三湖に面した町の十三湊は、室町時代の中世は港湾都市で日本海貿易で栄え、安藤氏が支配していました。当時は「奥州津軽十三湊」と呼ばれ、日本で10指に数えられるほど有名な湊町があったのです。
豪族であった安藤氏は、下の絵のように北海道で暮らすアイヌ民族と交易し莫大な利益を得ていました。この絵を見ると、アイヌは蝦夷地から昆布やナマコ、鮭など海産物を運んで取引をしていたことがうかがわれますね。

今でこそ、砂州が増え続けて港を埋め立ててしまいましたが、かつてはもっと湖は大きく港も船が停泊できるほど海が深かったそうです。

興味のある方は、この年表を拡大してじっくりとここの歴史を堪能してみてください。
ここの資料館は、まさに「よみがえる中世港湾都市の十三湊」を展示していました。

日本海側にある県道を南下すると、こんな「平滝村廃村跡」の看板が。
強い西風と砂が飛んでくる日本海側は、家々を守るために西に面した側に高い板を何枚も並べて壁を作ります。津軽ではそんな家がたくさん見られますが、ここは人々が去り江戸時代に廃村になった村跡なんですね。

そして、この日の最後の訪問場所は旧木造(きづくり)町、現在はつがる市の縄文住居展示資料館へ。入場料は200円。木造町は2005年2月11日に、周辺の森田村、柏村、稲垣村、車力村の4つの村と合併してつがる市へ。人口3.3万人の市で、ここ木造に市役所があります。

縄文時代は、紀元前13000年~紀元後300年ころまでで、約1万年もの間続いた時代です。
北海道と北東北の17の遺跡群は、「北海道・北東北の縄文遺跡群」のユネスコ世界文化遺産登録を目指していて、あちこちにこのような資料館が設置されているし、遺跡の見学もできます。
函館近郊にもありますので、世界遺産に登録されればうれしいですね!

何といっても、ここで一番有名なのは「遮光器土偶」です。
市の北に位置する亀ヶ岡の遺跡跡から1887年(明治20年)に出土した土偶で、北方系民族の雪眼鏡に似ていることから名付けられたのです。実物の高さは34.5㎝、国の重要文化財に指定されています。
本物は、東京国立博物館に所蔵されていて残念ながらここでは本物は見られません。

でも、木造駅では駅舎の壁に巨大な土偶の形があります。まさに、これはサングラスですね。

そしてマンホールにも!

ということで、2020年10月の秋、13日間かけて東北を旅した今回、blogもこれにて終了です。木造町からは青森港フェリー乗り場までは1時間ほどで到着し、今回も無事故無違反で無事に函館の我が家に帰ることが出来ました。
さて、来年は何処へ行こうか?もちろんコロナが収まっていることが前提ですが。
今年残りのblogは、函館市内または近郊に出かけて写真に収めて紹介する予定ですが、少しの間はお休みします。
では、皆さんコロナに負けずといっても、目に見えない敵ですから、こちらで防衛するしかありません。十分対策をして年末・年始をお過ごしください。
では、また!
今回が東北の旅の最終回ですが、今年はコロナ禍の中でも6月から9月にかけて道内を3回、秋10月は東北を旅しましたが、すべて車中泊の旅。グーグルのマップタイムラインによると、今年の旅した距離は地球一周分の19%、総距離7485km、300市町村を周り1288か所のスポットを見学した、と報告がありました。
昨年までは、人生初の入院・手術を経験し旅が1回も出来なかった2017年を除いて、平均して年1万kmを走っているから、やはりコロナ禍で春先に出かけられなかったことが少ない距離に表れています。
来年はどうなることでしょうか?コロナのワクチンが開発され、感染が収束して誰でもが安心して生活できるように祈りたいです。
さて、32回目の最初の写真は、小さな観音堂から。

津軽三十三観音霊場の17番札所の春日内(はるひない)観音堂で、江戸時代の初期、1614年に観音堂として建て直されたといいますが、明治に入り神仏分離令で廃止、大正時代に再建されたものです。

そばにあった鳥居は、多分明治時代初期の神仏分離で神社の形を見せるために造られたのでしょうか?
戊辰戦争で勝利した新政府軍は、1868年に天皇の神権的権威を高めるため「祭政一致」をスローガンに神仏分離令を出します。その結果、寺院からの神社の独立や神社からの仏教的要素が一掃が進められ、激しい廃仏毀釈運動(全国で仏像や仏具が破壊されました)に発展しました。この動きは民衆の素朴な宗教施設にまで及んだため、廃仏反対の動きや信教の自由の主張が高まったというから、今では信じられない時代だったのです。

市浦村は、2005年3月28日に金木町とともに五所川原市に併合されて、今はありません。でも、15年経ってもマンホールに村の形跡が見られるのはうれしいですね。

手前に車を停めて、十三湖の中にある小島に木造の橋を歩いて渡ります。距離は150mくらいか200mはなかったような。島に渡る目的は、市浦歴史民俗資料館を見学するため。入館料は大人300円。

十三湖に面した町の十三湊は、室町時代の中世は港湾都市で日本海貿易で栄え、安藤氏が支配していました。当時は「奥州津軽十三湊」と呼ばれ、日本で10指に数えられるほど有名な湊町があったのです。
豪族であった安藤氏は、下の絵のように北海道で暮らすアイヌ民族と交易し莫大な利益を得ていました。この絵を見ると、アイヌは蝦夷地から昆布やナマコ、鮭など海産物を運んで取引をしていたことがうかがわれますね。

今でこそ、砂州が増え続けて港を埋め立ててしまいましたが、かつてはもっと湖は大きく港も船が停泊できるほど海が深かったそうです。

興味のある方は、この年表を拡大してじっくりとここの歴史を堪能してみてください。
ここの資料館は、まさに「よみがえる中世港湾都市の十三湊」を展示していました。

日本海側にある県道を南下すると、こんな「平滝村廃村跡」の看板が。
強い西風と砂が飛んでくる日本海側は、家々を守るために西に面した側に高い板を何枚も並べて壁を作ります。津軽ではそんな家がたくさん見られますが、ここは人々が去り江戸時代に廃村になった村跡なんですね。

そして、この日の最後の訪問場所は旧木造(きづくり)町、現在はつがる市の縄文住居展示資料館へ。入場料は200円。木造町は2005年2月11日に、周辺の森田村、柏村、稲垣村、車力村の4つの村と合併してつがる市へ。人口3.3万人の市で、ここ木造に市役所があります。

縄文時代は、紀元前13000年~紀元後300年ころまでで、約1万年もの間続いた時代です。
北海道と北東北の17の遺跡群は、「北海道・北東北の縄文遺跡群」のユネスコ世界文化遺産登録を目指していて、あちこちにこのような資料館が設置されているし、遺跡の見学もできます。
函館近郊にもありますので、世界遺産に登録されればうれしいですね!

何といっても、ここで一番有名なのは「遮光器土偶」です。
市の北に位置する亀ヶ岡の遺跡跡から1887年(明治20年)に出土した土偶で、北方系民族の雪眼鏡に似ていることから名付けられたのです。実物の高さは34.5㎝、国の重要文化財に指定されています。
本物は、東京国立博物館に所蔵されていて残念ながらここでは本物は見られません。

でも、木造駅では駅舎の壁に巨大な土偶の形があります。まさに、これはサングラスですね。

そしてマンホールにも!

ということで、2020年10月の秋、13日間かけて東北を旅した今回、blogもこれにて終了です。木造町からは青森港フェリー乗り場までは1時間ほどで到着し、今回も無事故無違反で無事に函館の我が家に帰ることが出来ました。
さて、来年は何処へ行こうか?もちろんコロナが収まっていることが前提ですが。
今年残りのblogは、函館市内または近郊に出かけて写真に収めて紹介する予定ですが、少しの間はお休みします。
では、皆さんコロナに負けずといっても、目に見えない敵ですから、こちらで防衛するしかありません。十分対策をして年末・年始をお過ごしください。
では、また!
コメント
コメント一覧 (2)
映画「北の零年」は私もビデオを借りて見ました。上陸したのは日高の静内でしたね。
十勝は依田勉三ですね。北海道の場合、内地から様々な人々が開拓精神を持って上陸し原野を開墾していった歴史があります。
ただ、道南は室町時代から和人がアイヌ人と取引したり戦ったりの歴史があって、明治の時代の開拓者はいないのが、他の道内の歴史と違うところです。
東北の旅は面白いですよ。歴史もあるし食べ物も美味しいし、何よりも人々がやさしいです。来年も春は東北から旅したい!と思っていますが、コロナ収まるかどうか?が心配です。京都も感染者数が最大となり困った事態になりつつありますね。
札幌市と旭川市は、医療崩壊寸前まで追い込まれています。