12月29日火曜日、天気は雪で気温は真冬日。1日中マイナス気温で、外を歩くと寒い。道路は凍結して滑りやすく、歩くのに注意が必要。雪の量はそれほどではなく、積雪20㎝くらいでいつもの冬と変わりないくらい。ただ、歩く人は皆一様にマスクを付けていて、距離をとって歩いています。
今年は、コロナに始まりコロナに終わる歴史的にも大変な1年でした。このまま来年も続くのか?と思えば未来も希望もない2021年になりそうですが、明けない夜明けはない!とポジティブに考え、私個人は年末は来年の旅先を学習してエンジョイする予定です。
さて、赤レンガ倉庫群を通り過ぎて八幡坂の下のロータリーに出ると、「赤い靴を履いた少女像」があります。

全国にもありますが、函館のは童謡「赤い靴」のモデルとされる少女「きみちゃん」の像で、2009年に母岩崎かよと娘佐野きみが別れた地と云われる函館に設置された像です。像の作者は函館出身の彫刻家の小寺真知子さん。
有名なのは横浜市の山下公園ですが、他には静岡市日本平、東京の麻布十番、小樽市、青森県鰺ヶ沢町などあちこちにありますね。
奥に、人口島の緑の島とその手前に新島襄の像が見えていますね。
緑の島は、数多くの個人所有のヨットが停泊できるところがありますが、個人でヨットを所有できるなんてすごいですね。維持費がどれだけ掛かるのでしょうか?

赤い靴の歌詞が書かれています。
「赤い靴 履いてた 女の子 異人さんに 連れられて 行っちゃった
横浜の 波戸場から 船に乗って 異人さんに 連れられて 行っちゃった」

市電の通りに出てきました。頭を上げると、歩いて行ける距離にある名所が記されています。郷土資料館までは通り沿いに100m、ロシア正教会のハリストス正教会までは坂を上がって400m、アメリカ東インド艦隊の司令長官のペリーが上陸して会見をした(1854年)場所までは400m、北海道第一歩の地は海沿いに250mと。

通りの名前は、海峡通り。

函館山山麓の数多くの坂には、由来が書かれた柱があります。

名前は文字通りに、昔この坂の上に箱館八幡宮があったから、そう呼ばれたそうです。
現在はありません。それは、明治時代に何度も大火に見舞われて、八幡宮は焼失。その後、同じ函館山山麓でも南の谷地頭町へ移転していますが、坂の名前は今も八幡坂のまま使われています。
電柱が埋められているのは、景観を保つ意味でも良いですね。通りには素敵なお家が何軒も見られて、ここは市内でも一等地であることが分かります。

坂の上の方まで登ってきました。大きなビルがありますが、玄関は3階建てですが、下から見ると5階建て。入口には、白・青・赤の3色旗。これはロシアの国旗ですね。

坂の下を振り返ってみましょう。函館湾まで200mくらいはあるでしょうか?
この時は雪はなかったのですが、降雪時はロードヒーティングがされていて、雪が降っても凍結しないのです。市内の大きな坂のほとんどはロードヒーティングされているから、車の運転は一安心です。でも、電気代金はかなりかかりそう・・・。

ズームして見ましょう。並木道に少し隠れていますが、左側に青函連絡船の摩周丸が見えていますね。
中央右に、頭だけしか見えませんが五稜郭タワーの展望台が見えます。
確か、昨年まではクリスマス・ファンタジーに合わせて通りの並木にはイルミネーションが点灯して、夜間はとってもきれいな坂道になるのです。でも、今年は実施したのかどうか?

ロシアの国旗は、在札幌ロシア連邦総領事館 函館事務所の建物を表していたんですね。

その隣の建物は、ロシア極東連峰総合大学 函館校。ロシアの国立大学でロシア語を学べます。
ロシア語と云ったら、ソ連時代に旅した時(1977年 25歳の時)に少しだけ学んだけど、「スポシーバ(ありがとう)」とか、「ドーブラエウートラ(おはよう)」、「ダスビダーニャ(さようなら)」、「パカー(またね)」くらいしか記憶に残っていません。

実は、ここの建物はかつて函館白百合学園(高校と中学校)の所有だったのです。今は、市内1の交通量の多い産業道路と呼ばれる北東の山の手地区に引っ越していますが、その建物を利用しているのです。
右側にその白百合の幼稚園と修道院があります。

シャルトル聖パウロ修道女会 函館修道院。

3人の女性たちは、1878年(明治11年)5月28日フランスの修道会本部から派遣されて函館に上陸した修道女たち。シスター・マリーオグスト、シスター・マリーオネジム、シスター・カロリヌの3名です。
彼女たちは、大火に見舞われた函館で診療所を造り、さらに親を亡くした子供たちの乳児院・児童養護施設を建てます。さらに学校を始め、それが8年後の1886年(明治19年)、今の函館白百合学園となり、全国の白百合の第1号となっていくのでした。

すごい偉い女性たちですね。明治時代の函館には、数多くの欧米からお偉い人たちが上陸して生活していたんですね。

坂の上は、函館西高校。サブちゃんこと北島三郎始め作家の佐藤泰志、辻仁成、三遊亭好楽の弟子の三遊亭洋楽などを輩出している戦前は女子校の名門校です。

さすがに観光客もチラホラいて、CMなのかドラマの1シーンなのか?ポーズを取っている女性もいます。やっぱり、ここは絵になる風景です!

ということで、日本1の坂の八幡坂を紹介いたしました。
次回は、ここから南へ少し歩いて元町の教会群をお伝えする予定です。
では、また!
今年は、コロナに始まりコロナに終わる歴史的にも大変な1年でした。このまま来年も続くのか?と思えば未来も希望もない2021年になりそうですが、明けない夜明けはない!とポジティブに考え、私個人は年末は来年の旅先を学習してエンジョイする予定です。
さて、赤レンガ倉庫群を通り過ぎて八幡坂の下のロータリーに出ると、「赤い靴を履いた少女像」があります。

全国にもありますが、函館のは童謡「赤い靴」のモデルとされる少女「きみちゃん」の像で、2009年に母岩崎かよと娘佐野きみが別れた地と云われる函館に設置された像です。像の作者は函館出身の彫刻家の小寺真知子さん。
有名なのは横浜市の山下公園ですが、他には静岡市日本平、東京の麻布十番、小樽市、青森県鰺ヶ沢町などあちこちにありますね。
奥に、人口島の緑の島とその手前に新島襄の像が見えていますね。
緑の島は、数多くの個人所有のヨットが停泊できるところがありますが、個人でヨットを所有できるなんてすごいですね。維持費がどれだけ掛かるのでしょうか?

赤い靴の歌詞が書かれています。
「赤い靴 履いてた 女の子 異人さんに 連れられて 行っちゃった
横浜の 波戸場から 船に乗って 異人さんに 連れられて 行っちゃった」

市電の通りに出てきました。頭を上げると、歩いて行ける距離にある名所が記されています。郷土資料館までは通り沿いに100m、ロシア正教会のハリストス正教会までは坂を上がって400m、アメリカ東インド艦隊の司令長官のペリーが上陸して会見をした(1854年)場所までは400m、北海道第一歩の地は海沿いに250mと。

通りの名前は、海峡通り。

函館山山麓の数多くの坂には、由来が書かれた柱があります。

名前は文字通りに、昔この坂の上に箱館八幡宮があったから、そう呼ばれたそうです。
現在はありません。それは、明治時代に何度も大火に見舞われて、八幡宮は焼失。その後、同じ函館山山麓でも南の谷地頭町へ移転していますが、坂の名前は今も八幡坂のまま使われています。
電柱が埋められているのは、景観を保つ意味でも良いですね。通りには素敵なお家が何軒も見られて、ここは市内でも一等地であることが分かります。

坂の上の方まで登ってきました。大きなビルがありますが、玄関は3階建てですが、下から見ると5階建て。入口には、白・青・赤の3色旗。これはロシアの国旗ですね。

坂の下を振り返ってみましょう。函館湾まで200mくらいはあるでしょうか?
この時は雪はなかったのですが、降雪時はロードヒーティングがされていて、雪が降っても凍結しないのです。市内の大きな坂のほとんどはロードヒーティングされているから、車の運転は一安心です。でも、電気代金はかなりかかりそう・・・。

ズームして見ましょう。並木道に少し隠れていますが、左側に青函連絡船の摩周丸が見えていますね。
中央右に、頭だけしか見えませんが五稜郭タワーの展望台が見えます。
確か、昨年まではクリスマス・ファンタジーに合わせて通りの並木にはイルミネーションが点灯して、夜間はとってもきれいな坂道になるのです。でも、今年は実施したのかどうか?

ロシアの国旗は、在札幌ロシア連邦総領事館 函館事務所の建物を表していたんですね。

その隣の建物は、ロシア極東連峰総合大学 函館校。ロシアの国立大学でロシア語を学べます。
ロシア語と云ったら、ソ連時代に旅した時(1977年 25歳の時)に少しだけ学んだけど、「スポシーバ(ありがとう)」とか、「ドーブラエウートラ(おはよう)」、「ダスビダーニャ(さようなら)」、「パカー(またね)」くらいしか記憶に残っていません。

実は、ここの建物はかつて函館白百合学園(高校と中学校)の所有だったのです。今は、市内1の交通量の多い産業道路と呼ばれる北東の山の手地区に引っ越していますが、その建物を利用しているのです。
右側にその白百合の幼稚園と修道院があります。

シャルトル聖パウロ修道女会 函館修道院。

3人の女性たちは、1878年(明治11年)5月28日フランスの修道会本部から派遣されて函館に上陸した修道女たち。シスター・マリーオグスト、シスター・マリーオネジム、シスター・カロリヌの3名です。
彼女たちは、大火に見舞われた函館で診療所を造り、さらに親を亡くした子供たちの乳児院・児童養護施設を建てます。さらに学校を始め、それが8年後の1886年(明治19年)、今の函館白百合学園となり、全国の白百合の第1号となっていくのでした。

すごい偉い女性たちですね。明治時代の函館には、数多くの欧米からお偉い人たちが上陸して生活していたんですね。

坂の上は、函館西高校。サブちゃんこと北島三郎始め作家の佐藤泰志、辻仁成、三遊亭好楽の弟子の三遊亭洋楽などを輩出している戦前は女子校の名門校です。

さすがに観光客もチラホラいて、CMなのかドラマの1シーンなのか?ポーズを取っている女性もいます。やっぱり、ここは絵になる風景です!

ということで、日本1の坂の八幡坂を紹介いたしました。
次回は、ここから南へ少し歩いて元町の教会群をお伝えする予定です。
では、また!
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