3月7日日曜日、天気は晴れで朝から太陽がサンサンと輝いていて、春到来!とうれしいのです。少し寒いけど確実に春はやってきている、と思う天気です。
昨日土曜日は、BSやCSで昼からラグビーの放送があり大興奮!特に今年はNTTドコモチームに新加入のT・J・ペレナラがSHとして大活躍して開幕から3連勝!さすがにニュージーランド代表で、しかもあのハカのリーダーだから大したものです。今年の台風になっていますね。
夜はファイターズとジャイアンツのオープン戦をテレビ観戦。残念ながらファイターズは2-7で敗北しましたが、最後は育成の2人でヒットを重ねて1点をもぎ取り、これからが楽しみといった感じの負けでした。今日は函館郊外の鹿部町出身、ドラフト1位の伊藤投手が先発だから、今日も応援しなきゃ!
3月になってスポーツ中継が放送されて、うれしいの一言!コロナ禍でも楽しみが増えました。
さて、護国神社坂。神社から降りてすぐ南東側にあるのが公民館。終戦から2年後の1947年(昭和22年)に開設されたレトロな建築物の公民館は座席数346の講堂や集会堂があり、コンサートや映画会の会場にもなっています。

築74年という年代物の建物で、自分が小学生3年生の時に「絵画コンクール」でステージに上がったことを覚えています。1961年の話ですから、その時からさらに60年も経過していて、いまだに稼働中だから大したものです。
最近では、津軽三味線の高橋竹山を描いた映画「津軽のカマリ」をここで鑑賞しています。

昔の町名は「汐見町」だったんですね。現在はこの周辺は青柳町と改名されています。

坂の途中、蔵を発見。周辺を歩くと蔵があること!あること!

この周辺は裕福な人たちが住んでいたのでしょうね。家も立派だし、蔵まであって。でも、この蔵今は使われているのでしょうか?もっとも、蔵は使用されない物、お宝などを保存しておく場所だから、いわば物置代わりなんですよね。実に豪華な物置です。

坂の途中に、石川啄木の歌碑がありました。実は啄木の家跡を紹介するつもりでしたが、次の次当たりになりそうです。啄木はこの辺りに住んでいて、弥生小学校の教員として通勤していたのです。

こころざし得ぬ人々の あつまりて酒のむ場所が我が家なりしか

その付近にも蔵がありました。市内にはどのくらい蔵があるのでしょうか?数十?数百?たくさんありそう。

坂の下まで降りてくると、蔵が連なる建物が。ここは茶房「ひし伊」で、元々は入村質店。質屋さんだった建物です。
3つの建物からなる入村質店は正面右側の主屋は鉄筋コンクリート造りの瓦葺き2階建てで、明治38年(1905年)のもの、この建築様式は日本でも最初期のもの、だそうです。(「啄木の函館」竹原三哉著 紅書房)

啄木の本に登場するということは?実は啄木の妻節子さんは何度かここを訪れていたそうです。もちろん、質物を入れてお金を工面してもらうため。

ここが入口らしい。
まったく啄木はお金にだらしがない。
「啄木と函館」によると、「節子は啄木との結婚生活7年間の大部分で質屋通いをしている。啄木が故の苦しい台所事情の連続であったとも言える。それでも彼女は耐えに耐え、なおかつ、啄木を見捨てることはしなかった。節子は啄木のために生まれてきたような、そういう女性であった。」と。

そんなお金に困った啄木と違って、お金が有り余った豪商を紹介します。
時代は啄木(1886~1912)より、100年以上も前の箱館で暮らした高田屋嘉兵衛(1769~1827)淡路島の出身。廻船商人として、箱館で巨額の富を築きます。

箱館の発展は、この人なくしては語れない。それほどの人物です。

詳しくはこちらをお読みください。

次回は、高田屋嘉兵衛について、この周辺を散策して紹介していきます。
では、また!
昨日土曜日は、BSやCSで昼からラグビーの放送があり大興奮!特に今年はNTTドコモチームに新加入のT・J・ペレナラがSHとして大活躍して開幕から3連勝!さすがにニュージーランド代表で、しかもあのハカのリーダーだから大したものです。今年の台風になっていますね。
夜はファイターズとジャイアンツのオープン戦をテレビ観戦。残念ながらファイターズは2-7で敗北しましたが、最後は育成の2人でヒットを重ねて1点をもぎ取り、これからが楽しみといった感じの負けでした。今日は函館郊外の鹿部町出身、ドラフト1位の伊藤投手が先発だから、今日も応援しなきゃ!
3月になってスポーツ中継が放送されて、うれしいの一言!コロナ禍でも楽しみが増えました。
さて、護国神社坂。神社から降りてすぐ南東側にあるのが公民館。終戦から2年後の1947年(昭和22年)に開設されたレトロな建築物の公民館は座席数346の講堂や集会堂があり、コンサートや映画会の会場にもなっています。

築74年という年代物の建物で、自分が小学生3年生の時に「絵画コンクール」でステージに上がったことを覚えています。1961年の話ですから、その時からさらに60年も経過していて、いまだに稼働中だから大したものです。
最近では、津軽三味線の高橋竹山を描いた映画「津軽のカマリ」をここで鑑賞しています。

昔の町名は「汐見町」だったんですね。現在はこの周辺は青柳町と改名されています。

坂の途中、蔵を発見。周辺を歩くと蔵があること!あること!

この周辺は裕福な人たちが住んでいたのでしょうね。家も立派だし、蔵まであって。でも、この蔵今は使われているのでしょうか?もっとも、蔵は使用されない物、お宝などを保存しておく場所だから、いわば物置代わりなんですよね。実に豪華な物置です。

坂の途中に、石川啄木の歌碑がありました。実は啄木の家跡を紹介するつもりでしたが、次の次当たりになりそうです。啄木はこの辺りに住んでいて、弥生小学校の教員として通勤していたのです。

こころざし得ぬ人々の あつまりて酒のむ場所が我が家なりしか

その付近にも蔵がありました。市内にはどのくらい蔵があるのでしょうか?数十?数百?たくさんありそう。

坂の下まで降りてくると、蔵が連なる建物が。ここは茶房「ひし伊」で、元々は入村質店。質屋さんだった建物です。
3つの建物からなる入村質店は正面右側の主屋は鉄筋コンクリート造りの瓦葺き2階建てで、明治38年(1905年)のもの、この建築様式は日本でも最初期のもの、だそうです。(「啄木の函館」竹原三哉著 紅書房)

啄木の本に登場するということは?実は啄木の妻節子さんは何度かここを訪れていたそうです。もちろん、質物を入れてお金を工面してもらうため。

ここが入口らしい。
まったく啄木はお金にだらしがない。
「啄木と函館」によると、「節子は啄木との結婚生活7年間の大部分で質屋通いをしている。啄木が故の苦しい台所事情の連続であったとも言える。それでも彼女は耐えに耐え、なおかつ、啄木を見捨てることはしなかった。節子は啄木のために生まれてきたような、そういう女性であった。」と。

そんなお金に困った啄木と違って、お金が有り余った豪商を紹介します。
時代は啄木(1886~1912)より、100年以上も前の箱館で暮らした高田屋嘉兵衛(1769~1827)淡路島の出身。廻船商人として、箱館で巨額の富を築きます。

箱館の発展は、この人なくしては語れない。それほどの人物です。

詳しくはこちらをお読みください。

次回は、高田屋嘉兵衛について、この周辺を散策して紹介していきます。
では、また!
コメント
コメント一覧 (5)
東京の「南部坂」は忠臣蔵の浅野内匠頭の奥方・瑤泉院が住んでいたそうです。芝居では「南部坂雪の別れ」というのがあり、討ち入りの連判状を大石蔵之介が持参するも、間者が多く口に出せず黙って置いてきます。瑤泉院もお付きの戸田も、蔵之介の苦しい胸の内を計らず、討ち入りはしないものと決め、大石を罵ります。もちろんお芝居用に作られた話らしいですが、それにしてもグッと来る展開です。
「放浪記」の舞台で、林芙美子(森光子)が有名になり、母親(大塚道子)に上等な道行コートを着せるのです。母親が「忠臣蔵の瑤泉院たら言う、ご後室さまが着ておられたのを芝居で見た。芙美子は、なんでこぎゃんな物を着せたがるんじゃろ」と脱ごうとすると、女中が「林芙美子の家では、こんな物を着せているのかと言われないよう、お脱ぎにならないで下さい」と言うと、母親が「これを着ていても、ボロを着ていても、芙美子の母親は母親」というセリフがありました。中々芝居の上手な母親でした。
その後、芙美子が母親に「脱いでもいいよ」と言うと、母親は手を叩いて小踊りしてました。このシーンが今も好きです。
面白かったですね。特に新選組を主に取り上げていたので、興味深く見れました。
もっとも、私はとく子さんほど映画を見るわけではなく、たまに見る程度で、それもBSかCSで関心あるものだけです。それよりは、スポーツ中継ならほとんど見ます。特にラグビー、プロレス、自転車、野球、サッカーなどスポーツ全般好きで、テレビの90%はスポーツといっていいほど見ています。
ルールを理解して、選手を知れば知るほど、下手なドラマよりずーっと面白いですよ。
子どもの被害が多かった「大川小学校」の本が出てます。中々判断が難しいですが、やっぱりためらいなく、逃げないと行けませんね。どこの学校だったか普段から災害時の訓練をしていて、逃げる時は人を巻き込んでと教えられていて、一人の女の子が「津波がくっぞ~逃げっぺ~」と言うと、次々と声をかけ合い、年寄りも生徒もみんな裏山の高台に逃げて、全員助かったというのを見ました。
残念ながら、函館では生観戦が出来る試合がなく、札幌ドームは泊まりがけで行かなくては行けないほど距離はあります。札幌と函館間は280kmほどあるので。
スポーツを生観戦するなら、やっぱり都会ですね。
でも、函館は食が新鮮!海でも陸でも山でも、取り立ての食材は豊富で、大都会の時間が経過したものとは全然違います。
ちょっとした、自慢話でした。