3月17日水曜日、天気は朝から雪が降っています。
日曜日は16度まで上昇し、春本番かな?と思わせる好天気だったのに、今日は冬に逆戻りで数日前まで花が咲いていた外は真っ白!
2階から撮影した隣家の屋根と我が家の畑。

せっかく畑の土起こしをしたのに、また雪原になってしまいガッカリです。もっとも、午後には解けるはずでしょうが、こうやって三寒四温で春に近づいていくのでしょうね。
日曜日の暖かい日には、クロッカスの黄色の花が咲きました。

となりには福寿草もどんどん咲き始めています。
左側の赤い芽は、夏に大きな花を開くシャクヤク(芍薬)。赤いさきっちょが土の中から出てきています。

ニュースでは各地から桜の開花の話が出ていますが、こちらでは雪の花がキレイに咲いています!と
かなり自虐的な独り言をつぶやいてストレス発散。
まったく、春の季節、特に桜の話では、南の地方にジェラシーを感じ、北国に住むことに諦観を覚えます。いっその事、冬は南国で過ごし夏は北海道で過ごす!そんな生活を一度はしてみたい!と思うのは北海道に住む人間なら一度は思ったことがあるのではないでしょうか?
さて、今日は昔東京以北最大の銀座!と云われた函館西部地区の十字街地区。ここは、市電通りの十字街電停です。正面左側のガラス張りの建物は、函館市水道局の建物でアクロス十字街。
中央奥のレトロな建物は、旧丸井デパートで現在は函館市地域交流まちづくりセンター。

銀座と呼ばれた通りは、市電の通りの1本手前側(函館駅寄り)の道で市電谷地頭線と並行してあります。まずは、その市電通りに面した角の建物から紹介します。現在は「はこだて工芸舎」ですが、元々は食料品・雑貨・酒類などを卸売りする梅津商店の建物。梅津福次郎氏は茨城県常陸太田市の出身で、明治半ばに函館へ来て4度の大火を経験し、4度目の1934年(昭和9年)後の1935年(昭和10年)に、78歳の時に建築した実に築86年目となるレトロな建築物です。
コンクリート製に見えますが、実は木造建築物です。

梅津氏と云えば、私の母校の函館東高校(現在は市立函館高校)に梅津記念館(?)なる講堂があって、函館の豪商だった梅津氏が寄付したもの、と確か覚えています。間違っていたら御免なさい。
私が在学して時代は1968年で4月~1971年3月までですが、当時の校舎は物資不足の戦中に建築された木造校舎で、かなり古くて1968年5月の函館で震度5を記録した十勝沖地震では、校舎が潰れるのでは?と2階校舎から逃げているときに恐怖を感じたほどでした。現在は、鉄筋コンクリート製の立派な校舎へ生まれ変わっています。
ここには、その梅津氏が昭和初期に建てたものがいまだに残っているのですね。

通りを歩いて見ましょう。まずは古臭いレトロな3階建ての建築物が目につきます。ほとんどは、昭和9年の大火以降に建てられたものでしょう。
「市電でめぐる函館100選」によると、「大正から昭和初期にかけての全盛時代には、北日本最大のカフェ街として名をとどろかせました。通りの両側には、鉄筋コンクリート造り24棟、コンクリートブロック造り19棟、レンガ造り15棟など66棟の耐火建築が並び、当時最先端のビル街でもありました。」
右手の建物は梅津商店の倉庫で、かつては公証役場だったそうです。「大山」の看板は、お酒の名前ですね。

中央に見えるのは函館のソウルフーズとも云えるラッキーピエロ十字街店。市内に20数店舗を構えるラッキーピエロは、中国人の王さんが1987年(昭和62年)に創業。比較的新しい飲食店ですが、今や函館観光に欠かせないほどの人気で、若者はラッピで食べることを目的に札幌から車で飛ばしてくる、そんな人気のお店です。もちろん今や全国的な人気で、一時は函館に進出したマクドナルドが一度は撤退したくらいの人気メニューのハンバーガーを売りにしています。
1987年開業した年に、「ハンバーガー愛好会金賞」を受賞、2009年「日本経済新聞」の日経プラス1何でもランキングでご当地バーガーのNO.1に選ばれています。
ハンバーガーだけではなく、カレーやオムライス、かつ丼、ラーメンなどメニューは豊富でどれもボリューム感があります。お店は各自の店で工夫を凝らしていて、ここはサンタクロースのオンパレード。店内は年中クリスマス一色で、サンタクロースがたくさんいます。
もっとも、建築当時は理容院だったとか。

そのラッキーピエロ側から向かい側の鉄筋コンクリート造りの旧ホテル「中央荘」を撮影。今は、閉鎖されていますが。実はここ幽霊が出るとの噂の心霊スポットになっている建物です。ネットで偶然発見したのですが、結構有名な建物です。

その並びにある「函館たばこ会館」と「銀座魚菜市場」。今でも銀座の名前を用いていますね。
たばこ会館の1階には、数年前にピザ屋さんが開店し、人気があってとても美味しい!

その向かい側で、市電通りに出る脇道の通り。雪や雨を避けるアーケードがありますね。でも、シャッターが下りている店が多い。十一屋は衣料品を販売する店ですが、今は郊外に広い駐車場付きの大型販売店がいくつも出来て、若者は寄らず。この周辺は高齢者だらけだから、購買意欲もなく売り上げは激減しているのでしょうね。となりはかつては本屋さんだったけど、本屋さんは大型店以外はあちこちで閉店していますね。今は本を読むのではなくネットで読むものに変化してきていますからね。退職前でも、生徒からはスマホで読書しています!とよく言われて、すごいショックだったことを覚えています。
本だけではなく新聞・雑誌など紙媒体は、衰退の一途をたどることでしょうね。

横から見た建物ですが、南面しているにも関わらず窓は全部閉鎖。というより、コンクリートで固めてしまっています。ウッドローズというイギリス風のお店ですが、シャッターが降りていますよ。

旧町名は恵美須町。銀座と呼ばれた通りには、今は大規模な5階建て眼科専門の病院が建築されていて、周辺には駐車場も完備していて商店街の雰囲気はまったくなし。

左から大正時代に建てられたカフェ、左の白い建物は蕎麦屋さんの「天満つ」。ともに閉店しています。

右の宝来パン本店は、老舗のパン屋さん。3回の屋根の装飾がカッコイイ!そのとなりは質店。

紫色の建物もレトロだけど、左の建物の屋根壁にはこんなマークが。何だろう?

少し歩いて、美容室が。「美容室あみん」ですが、ここでクイズでしょう。
かつては、ここ何だったでしょうか? 答えは2つ下に書いてあるので、まずは考えて見ましょう。
ヒント~玄関が2つありますね。どうして?

「小野寺住設」とい3階建てモダンなコンクリート造りの建物です。屋上がバルコニーになっていて、展望が良いのでしょうね。夏に函館港で開かれる花火大火では格好の見物場所になりますよ。見物料金を取ってもいい場所です。

さて、先ほどの美容室は1921年(大正10年)の建築だから、今年でちょうど100年目!
アーチ形の入口が2つあるデザインでお分かりの人もいたでしょう。ここは銭湯の「衛生湯」でした。
参考は、「函館市公式観光情報はこぶら」。
こんな素敵な建物が銭湯だったのです。
昔の写真集を見ると、他にも劇場や映画館、さまざまな建築物があって、それは大いに賑わっていた通りだったことが分かります。
銀座の名前に相応しい通りだったのです。かつての栄光ですが・・・。
次回は、蓬莱町遊郭の形跡は少しでもあるのか?残っていたら?と探してみました。
では、また!
日曜日は16度まで上昇し、春本番かな?と思わせる好天気だったのに、今日は冬に逆戻りで数日前まで花が咲いていた外は真っ白!
2階から撮影した隣家の屋根と我が家の畑。

せっかく畑の土起こしをしたのに、また雪原になってしまいガッカリです。もっとも、午後には解けるはずでしょうが、こうやって三寒四温で春に近づいていくのでしょうね。
日曜日の暖かい日には、クロッカスの黄色の花が咲きました。

となりには福寿草もどんどん咲き始めています。
左側の赤い芽は、夏に大きな花を開くシャクヤク(芍薬)。赤いさきっちょが土の中から出てきています。

ニュースでは各地から桜の開花の話が出ていますが、こちらでは雪の花がキレイに咲いています!と
かなり自虐的な独り言をつぶやいてストレス発散。
まったく、春の季節、特に桜の話では、南の地方にジェラシーを感じ、北国に住むことに諦観を覚えます。いっその事、冬は南国で過ごし夏は北海道で過ごす!そんな生活を一度はしてみたい!と思うのは北海道に住む人間なら一度は思ったことがあるのではないでしょうか?
さて、今日は昔東京以北最大の銀座!と云われた函館西部地区の十字街地区。ここは、市電通りの十字街電停です。正面左側のガラス張りの建物は、函館市水道局の建物でアクロス十字街。
中央奥のレトロな建物は、旧丸井デパートで現在は函館市地域交流まちづくりセンター。

銀座と呼ばれた通りは、市電の通りの1本手前側(函館駅寄り)の道で市電谷地頭線と並行してあります。まずは、その市電通りに面した角の建物から紹介します。現在は「はこだて工芸舎」ですが、元々は食料品・雑貨・酒類などを卸売りする梅津商店の建物。梅津福次郎氏は茨城県常陸太田市の出身で、明治半ばに函館へ来て4度の大火を経験し、4度目の1934年(昭和9年)後の1935年(昭和10年)に、78歳の時に建築した実に築86年目となるレトロな建築物です。
コンクリート製に見えますが、実は木造建築物です。

梅津氏と云えば、私の母校の函館東高校(現在は市立函館高校)に梅津記念館(?)なる講堂があって、函館の豪商だった梅津氏が寄付したもの、と確か覚えています。間違っていたら御免なさい。
私が在学して時代は1968年で4月~1971年3月までですが、当時の校舎は物資不足の戦中に建築された木造校舎で、かなり古くて1968年5月の函館で震度5を記録した十勝沖地震では、校舎が潰れるのでは?と2階校舎から逃げているときに恐怖を感じたほどでした。現在は、鉄筋コンクリート製の立派な校舎へ生まれ変わっています。
ここには、その梅津氏が昭和初期に建てたものがいまだに残っているのですね。

通りを歩いて見ましょう。まずは古臭いレトロな3階建ての建築物が目につきます。ほとんどは、昭和9年の大火以降に建てられたものでしょう。
「市電でめぐる函館100選」によると、「大正から昭和初期にかけての全盛時代には、北日本最大のカフェ街として名をとどろかせました。通りの両側には、鉄筋コンクリート造り24棟、コンクリートブロック造り19棟、レンガ造り15棟など66棟の耐火建築が並び、当時最先端のビル街でもありました。」
右手の建物は梅津商店の倉庫で、かつては公証役場だったそうです。「大山」の看板は、お酒の名前ですね。

中央に見えるのは函館のソウルフーズとも云えるラッキーピエロ十字街店。市内に20数店舗を構えるラッキーピエロは、中国人の王さんが1987年(昭和62年)に創業。比較的新しい飲食店ですが、今や函館観光に欠かせないほどの人気で、若者はラッピで食べることを目的に札幌から車で飛ばしてくる、そんな人気のお店です。もちろん今や全国的な人気で、一時は函館に進出したマクドナルドが一度は撤退したくらいの人気メニューのハンバーガーを売りにしています。
1987年開業した年に、「ハンバーガー愛好会金賞」を受賞、2009年「日本経済新聞」の日経プラス1何でもランキングでご当地バーガーのNO.1に選ばれています。
ハンバーガーだけではなく、カレーやオムライス、かつ丼、ラーメンなどメニューは豊富でどれもボリューム感があります。お店は各自の店で工夫を凝らしていて、ここはサンタクロースのオンパレード。店内は年中クリスマス一色で、サンタクロースがたくさんいます。
もっとも、建築当時は理容院だったとか。

そのラッキーピエロ側から向かい側の鉄筋コンクリート造りの旧ホテル「中央荘」を撮影。今は、閉鎖されていますが。実はここ幽霊が出るとの噂の心霊スポットになっている建物です。ネットで偶然発見したのですが、結構有名な建物です。

その並びにある「函館たばこ会館」と「銀座魚菜市場」。今でも銀座の名前を用いていますね。
たばこ会館の1階には、数年前にピザ屋さんが開店し、人気があってとても美味しい!

その向かい側で、市電通りに出る脇道の通り。雪や雨を避けるアーケードがありますね。でも、シャッターが下りている店が多い。十一屋は衣料品を販売する店ですが、今は郊外に広い駐車場付きの大型販売店がいくつも出来て、若者は寄らず。この周辺は高齢者だらけだから、購買意欲もなく売り上げは激減しているのでしょうね。となりはかつては本屋さんだったけど、本屋さんは大型店以外はあちこちで閉店していますね。今は本を読むのではなくネットで読むものに変化してきていますからね。退職前でも、生徒からはスマホで読書しています!とよく言われて、すごいショックだったことを覚えています。
本だけではなく新聞・雑誌など紙媒体は、衰退の一途をたどることでしょうね。

横から見た建物ですが、南面しているにも関わらず窓は全部閉鎖。というより、コンクリートで固めてしまっています。ウッドローズというイギリス風のお店ですが、シャッターが降りていますよ。

旧町名は恵美須町。銀座と呼ばれた通りには、今は大規模な5階建て眼科専門の病院が建築されていて、周辺には駐車場も完備していて商店街の雰囲気はまったくなし。

左から大正時代に建てられたカフェ、左の白い建物は蕎麦屋さんの「天満つ」。ともに閉店しています。

右の宝来パン本店は、老舗のパン屋さん。3回の屋根の装飾がカッコイイ!そのとなりは質店。

紫色の建物もレトロだけど、左の建物の屋根壁にはこんなマークが。何だろう?

少し歩いて、美容室が。「美容室あみん」ですが、ここでクイズでしょう。
かつては、ここ何だったでしょうか? 答えは2つ下に書いてあるので、まずは考えて見ましょう。
ヒント~玄関が2つありますね。どうして?

「小野寺住設」とい3階建てモダンなコンクリート造りの建物です。屋上がバルコニーになっていて、展望が良いのでしょうね。夏に函館港で開かれる花火大火では格好の見物場所になりますよ。見物料金を取ってもいい場所です。

さて、先ほどの美容室は1921年(大正10年)の建築だから、今年でちょうど100年目!
アーチ形の入口が2つあるデザインでお分かりの人もいたでしょう。ここは銭湯の「衛生湯」でした。
参考は、「函館市公式観光情報はこぶら」。
こんな素敵な建物が銭湯だったのです。
昔の写真集を見ると、他にも劇場や映画館、さまざまな建築物があって、それは大いに賑わっていた通りだったことが分かります。
銀座の名前に相応しい通りだったのです。かつての栄光ですが・・・。
次回は、蓬莱町遊郭の形跡は少しでもあるのか?残っていたら?と探してみました。
では、また!
コメント
コメント一覧 (3)
雪のかぶってる畑が函Gさんの畑ですか?向かいの家から比べると、かなり高い位置にあるように見えるのですが、家で食べる野菜を作るのはいいですね。「冬は南国、夏は北海道」誰もが思っているのではないでしょうか(笑)私が行った時の夏の北海道は、カンカン照りで暑かったです。でも夜はグッと冷えました。
銭湯の入り口2つは男女に分けてあったんですね。パッと見た時は雪が多い街なので、入り口が雪で塞がり、とりあえず1つ除雪し通れるようにしておいて、時間差で次のもう1つを除雪、な~んて思ってました(笑)
昨日「なんでも鑑定団」と言う番組で榎本武揚の書に50万円の評価額が付いてました「五稜郭から函館の街がよく見える、自分は天涯孤独の身で流浪しているんだ。来年は自分はもう逆賊と扱われることになるだろう。五稜郭にはたくさんの兵士たちが春爛漫の空気を浴びて潤っている」と書いてあるそうですが、さすがに鑑定士はよく読みますね。私は何も読めません。今夜の「英雄たちの選択」は土方歳三でした。この時にも榎本武揚が出て来て、なにした人かなと思ってました。
https://www.tv-tokyo.co.jp/kantei/kaiun_db/otakara/20210316/07.html
夏は北海道が過ごしやすい!といっても、内陸部の夏は本州並みに暑いです。良く5月哉6月にニュースで「今日の最高気温は38度の北海道でした」と出ますが、帯広や北見、遠軽、旭川など5月末に38度とか出るのです。7月や8月も35度を超える猛暑日なることも。
内陸部は、冬寒く(最低気温はマイナス30℃を超えることも)、夏暑く(30℃超え)だから、寒暖差は60度を超えます。その点、函館は海に面しているので冬は一番寒い時でもマイナス10度くらいまで、普段はせいぜいマイナス5℃前後、夏の平均気温は22度でエアコン要らずで済みます。1年の寒暖差は30℃以内です。
畑は、自分で無農薬の野菜を作りたかったからで、これも退職後の楽しみの一つです。無農薬、化学肥料を使わず、自然農法で野菜作り、でも虫が付くんですよね。
近かったら、美味しい野菜届けたいのですが!京都へ郵送したら、輸送途中で腐っちゃいますね。