3月21日日曜日、天気は朝から雨でこれから激しくなるとの予報。外には雪はないけど、気温も寒く暖房を入れています。
さて、青柳町の青柳坂で、一応函館山山麓の西部地区の坂をすべて紹介しましたが、それ以外にも坂がないわけでなく、青柳坂よりもさらに南側へと歩いて行き名もなき坂をお伝えしたいと思います。
まずは、青柳坂の上にある青柳中学校から。以前の名前は潮見中学校。それが西中学校が閉校したために、西部地区で唯一の中学になったことから校名変更へ。それで、潮見から青柳へとなったわけです。

別に校名変更しなくてもいいんじゃないか、とも思うのですが。
なお、私が歩いた日は2月下旬のある晴れた日で、雪も結構残っていました。現在は、市内には全くと言っていいほど雪はありませんが、この時はまだ残っていました。
中学から歩いて数分、眼下には谷地頭グランドが見えてきました。広大なグランドで、野球場に使用されていましたが、野球をする子供もいなくなって、今はただの原っぱになっていますね。

函館山は護国神社のある場所を境に、こちら側は南側になっています。つまり、護国神社周辺が北西側の尾根があって、それより南側は谷側となっているわけです。PCのblogの表紙の写真を見れば分かると思いますが。

右側が尾根部分。坂(名前がないが、函館公園に沿っているので、仮の名を函館公園坂とします。)を下りていくと、函館八幡宮に着きます。

以前、日本1の坂「八幡坂」を紹介しましたが、それは江戸時代の1804年に八幡宮があったから。
もっとも、初めは室町時代初期の1445年に、箱館に館を築いた河野政通(こうのまさみち)が、八幡宮を館(基坂)の東南隅に祀ったの始まり。
その後は、アイヌ人の蜂起により移転したりしたが、大火によって1880年(明治13年)にこの地へ。あとから紹介しますが、本殿は1915年(大正4年)に完成した大正式八幡造りと呼ばれる優雅で壮麗な建物です。

ここから市電の終点「谷地頭」まで続く坂。名前はないけど、「八幡宮坂」とでもしますか?
左に先ほど紹介した谷地頭グランド、距離にして300mほどで市電電停に到着します。

階段を上って行くと、左側にある建物が。

八幡宮研修道場で、剣道や居合道を教える神威館という道場です。

立派な建物で、中に道場があるのでしょう。剣道という競技は、勝っても負けても声を出してはいけない競技なんですね。戦っているときは声を出しても、勝利したときにガッツポーズを取って、「やったぜぇー!」なって声を出したら負けになるとか、そんなことを聞きましたけど。確か、弓道もそうですね。日本古来からの武術(欧米生まれのスポーツじゃない?)は礼を重んじるから?

階段の途中で、神職の方が榊の葉っぱを採っていました。青い裃が見えるでしょう。長い棒の先にははさみが付いていて、それで榊の枝を採って葉っぱを神事に使うのでしょう。

上った段数は108段。これって、大晦日の除夜の鐘と同じ数。死(4)と苦(9)と現在・過去・未来の3つの世界をかける。4×9×3=108ですからね。
でも、ここは神社。でも、仏教と共通するものがあるのでしょうね。

この石は御神石?

こちらは御神木。

池もあって、こちらの名は「勾玉(まがたま)の池」。北海道では珍しい絶滅危惧種のエゾヒキガエルの産卵場所です。周辺には「カエルロード」の名もあって、カエルには気を付けて!ということですね。今は完全に凍結していて、カエルたちは冬眠しているのかな?

筆塚もありますね。使用した筆を祀っているのでしょう。

手を洗う、口をすすいで身を清める手水舎(てみずや、またはちょうずや)は、完全凍結。ガチガチに凍っていますが、一か所だけ水が流れていますよ。手を洗ったら、冷たくて冷たくて、思わず「しゃっこい!」と函館弁。「すごく冷たい!」という意味です。

ということで、函館市の超強力パワースポットの函館八幡宮。なぜならば、風水では函館山に集まった気をここですべて受けてパワーを放っているとか。
そして、ここは「開拓」・「航海」・「漁業」の守り神とか。次回は、この神社を詳しく見ていきます。
では、また!
さて、青柳町の青柳坂で、一応函館山山麓の西部地区の坂をすべて紹介しましたが、それ以外にも坂がないわけでなく、青柳坂よりもさらに南側へと歩いて行き名もなき坂をお伝えしたいと思います。
まずは、青柳坂の上にある青柳中学校から。以前の名前は潮見中学校。それが西中学校が閉校したために、西部地区で唯一の中学になったことから校名変更へ。それで、潮見から青柳へとなったわけです。

別に校名変更しなくてもいいんじゃないか、とも思うのですが。
なお、私が歩いた日は2月下旬のある晴れた日で、雪も結構残っていました。現在は、市内には全くと言っていいほど雪はありませんが、この時はまだ残っていました。
中学から歩いて数分、眼下には谷地頭グランドが見えてきました。広大なグランドで、野球場に使用されていましたが、野球をする子供もいなくなって、今はただの原っぱになっていますね。

函館山は護国神社のある場所を境に、こちら側は南側になっています。つまり、護国神社周辺が北西側の尾根があって、それより南側は谷側となっているわけです。PCのblogの表紙の写真を見れば分かると思いますが。

右側が尾根部分。坂(名前がないが、函館公園に沿っているので、仮の名を函館公園坂とします。)を下りていくと、函館八幡宮に着きます。

以前、日本1の坂「八幡坂」を紹介しましたが、それは江戸時代の1804年に八幡宮があったから。
もっとも、初めは室町時代初期の1445年に、箱館に館を築いた河野政通(こうのまさみち)が、八幡宮を館(基坂)の東南隅に祀ったの始まり。
その後は、アイヌ人の蜂起により移転したりしたが、大火によって1880年(明治13年)にこの地へ。あとから紹介しますが、本殿は1915年(大正4年)に完成した大正式八幡造りと呼ばれる優雅で壮麗な建物です。

ここから市電の終点「谷地頭」まで続く坂。名前はないけど、「八幡宮坂」とでもしますか?
左に先ほど紹介した谷地頭グランド、距離にして300mほどで市電電停に到着します。

階段を上って行くと、左側にある建物が。

八幡宮研修道場で、剣道や居合道を教える神威館という道場です。

立派な建物で、中に道場があるのでしょう。剣道という競技は、勝っても負けても声を出してはいけない競技なんですね。戦っているときは声を出しても、勝利したときにガッツポーズを取って、「やったぜぇー!」なって声を出したら負けになるとか、そんなことを聞きましたけど。確か、弓道もそうですね。日本古来からの武術(欧米生まれのスポーツじゃない?)は礼を重んじるから?

階段の途中で、神職の方が榊の葉っぱを採っていました。青い裃が見えるでしょう。長い棒の先にははさみが付いていて、それで榊の枝を採って葉っぱを神事に使うのでしょう。

上った段数は108段。これって、大晦日の除夜の鐘と同じ数。死(4)と苦(9)と現在・過去・未来の3つの世界をかける。4×9×3=108ですからね。
でも、ここは神社。でも、仏教と共通するものがあるのでしょうね。

この石は御神石?

こちらは御神木。

池もあって、こちらの名は「勾玉(まがたま)の池」。北海道では珍しい絶滅危惧種のエゾヒキガエルの産卵場所です。周辺には「カエルロード」の名もあって、カエルには気を付けて!ということですね。今は完全に凍結していて、カエルたちは冬眠しているのかな?

筆塚もありますね。使用した筆を祀っているのでしょう。

手を洗う、口をすすいで身を清める手水舎(てみずや、またはちょうずや)は、完全凍結。ガチガチに凍っていますが、一か所だけ水が流れていますよ。手を洗ったら、冷たくて冷たくて、思わず「しゃっこい!」と函館弁。「すごく冷たい!」という意味です。

ということで、函館市の超強力パワースポットの函館八幡宮。なぜならば、風水では函館山に集まった気をここですべて受けてパワーを放っているとか。
そして、ここは「開拓」・「航海」・「漁業」の守り神とか。次回は、この神社を詳しく見ていきます。
では、また!
コメント
コメント一覧 (4)
裏通りをトロトロと走行していると、後ろからクラクションを鳴らされて、事故の可能性もあるので、晴れた日にもう一度周辺を散策してみようと思います。
建物さえ残せば、函Gブログや、色々な情報サイトで必ず見学者が訪れてくると思います。
函館には、ボランティアで説明している人たちもたくさんいます。
このような建物を含めて、函館にはかけがえのない財産がたくさんあります。
函館市も4月から、西部地区再整備に新しいポストを設ける人事を行いましたね。
名前だけではなくて、本気で歴史的建造物を残してほしいですね。
西部地区は、車を置いて歩いて周るのが最適ですが、今までは雪があったから難儀しましたが、これからは雪もなくなって暖かくなったし、十分大丈夫。
でも、坂道は気を付けて歩いてくださいね。結構、急坂もありますので。