5月23日日曜日、天気は朝方は小雨で日中は曇りのあまり良くない天気です。ここ数日晴れの日がなく、ぐつついた天候が続き五月晴れじゃない、まるで梅雨のような空模様です。北海道にも蝦夷梅雨があるんだ!と感じさせるような日が続いていて、コロナの感染者激増とともに気が滅入います。
早く晴天になって太陽が見たいし、コロナも収まって欲しいけど、一体いつになったら前のような状態に戻れるのか?それともアフターコロナは今までとは別な世界になるのか?それを考えると不安であり、ものすごい心配ではあります。
さて、ここは史跡四稜郭。五稜郭ではありません。4つのコーナーがある城跡です。
ということで、今日からblogは、今までの西部地区から一転市の北東部へ移りました。

場所は、五稜郭の3kmほど北東の高台にあり、周辺は畑が広がる地域です。
目的は、1869年(明治2年)に新政府軍の北海道上陸に対し、本拠地である五稜郭を防衛するための砦で建設されたものです。別名は、新台場、神山台場、新五稜郭とも。
大きさは東西約100m、南北70mで、五稜郭に比べたらかなり小さい。

陸軍奉行 大鳥圭介(1832~1911)の説明がありますね。「おおとりけいすけ」と云ったら、年配の方は関西のお笑い芸人の鳳圭介を思い出す人が多いでしょうが、こちらは戊辰戦争時の旧幕府側軍人で、榎本武揚や土方歳三らとともに新政府軍と戦った人物。

大鳥圭介は江戸時代の末期の医師にして蘭学者、軍事学者でしたが、ここ箱館で四稜郭を設計した可能性は低いと書かれていますね。四稜郭は蝶が羽を広げたような形と形容していますが、それは空から見た形で、地上からはそんな風に見えるのでしょうか?

フランスの軍人のジュール・ブリューネ(1838~1911)の説明もあります。箱館戦争時には旧幕府軍の軍事顧問として指導にあたりますが、敗北後は帰国していますね。
戦争時に、フランスが積極的に旧幕府側=蝦夷共和国を支援していくれれば、という歴史上の「もし?」がありますが、結局北海道は明治政府の支配下に入り、開拓が開拓使の手で進められることになったのです。

この写真は有名な1枚ですね。フランス軍事顧問団と旧幕府側軍人。後ろの日本人は右端の人に比べ、随分背が低いですね。頭一つ以上低い。

ブリューネの出身地である「美しい要塞」の名を持つベルフォールの城が四稜郭に似ているらしく、ここの設計に携わったとのことだそうです。

確かに蝶の羽を広げたように見えなくもないけど・・・。
五稜郭は5つの角がある星型に対して、四稜郭は四国のような地形です。

それでは、入口から入っていきましょう。高さ3mくらいの土塁が見えていますね。その手前に空堀があって・・・やっぱり五稜郭とは比較にならないほどの規模で、これじゃ簡単にやられたことが一目で理解できます。

北側は、山頂部分に雪が残った横津岳連峰が見えています。もっとも、撮影は4月中旬でしたので今から一月以上も前のことで、山に残雪があったのは当然です。
それにしても広大な畑で、ジャガイモかな?それともトウモロコシか?

山をズームして見ましょう。左の尖った山は烏帽子岳(1078m)、右の一番高いところが袴腰岳(1108.3m)。20年以上前のことで昔の話ですが、雪のない季節に縦走したことがあります。

そして、左に眼を移すと連峰の最高峰の山である横津岳(1167m)。山頂には自衛隊の航空レーダー基地がありますが、これは1971年7月3日の「ばんだい号墜落事故」で乗客乗員全員68名が死亡して以後に建設されたものです。白い雪原は、かつてのスキー場跡。
登山するには、9合目まで舗装道路が出来ていますが、レーダー基地までは行けずゲートが降りています。駐車場に車を停めてからおよそ1時間ほどで山頂へ行けます。
なお手前にあるこんもりした山は庄司山(670.4m)。松前藩11代藩主の邦広が松前から城を移そうと計画したことがあったそうです。でも、彼の死去(1743年4月)移城が立ち消えになったとか。

眼を右へ転じると、左から雁皮山(743・4m)、蝦夷松山(667m)の山々が見えています。

で、次回は四稜郭の内部に入っていくことにします。内部はどうなっているのか?
北海道のコロナ感染者数は、東京を越えて47都道府県の中で最大になりました。多くは札幌市や石狩管内ですが、函館市でもここ数日は数人とゼロになることはなし。
変異株も増えてきているし、不安材料が多すぎる!
どうなる日本!緊急事態宣言下でもオリンピックは開催できるのでしょうか?
心配なことばかり続いています。自分で気を付けて行動するしかないのでしょうか?
では、また!
早く晴天になって太陽が見たいし、コロナも収まって欲しいけど、一体いつになったら前のような状態に戻れるのか?それともアフターコロナは今までとは別な世界になるのか?それを考えると不安であり、ものすごい心配ではあります。
さて、ここは史跡四稜郭。五稜郭ではありません。4つのコーナーがある城跡です。
ということで、今日からblogは、今までの西部地区から一転市の北東部へ移りました。

場所は、五稜郭の3kmほど北東の高台にあり、周辺は畑が広がる地域です。
目的は、1869年(明治2年)に新政府軍の北海道上陸に対し、本拠地である五稜郭を防衛するための砦で建設されたものです。別名は、新台場、神山台場、新五稜郭とも。
大きさは東西約100m、南北70mで、五稜郭に比べたらかなり小さい。

陸軍奉行 大鳥圭介(1832~1911)の説明がありますね。「おおとりけいすけ」と云ったら、年配の方は関西のお笑い芸人の鳳圭介を思い出す人が多いでしょうが、こちらは戊辰戦争時の旧幕府側軍人で、榎本武揚や土方歳三らとともに新政府軍と戦った人物。

大鳥圭介は江戸時代の末期の医師にして蘭学者、軍事学者でしたが、ここ箱館で四稜郭を設計した可能性は低いと書かれていますね。四稜郭は蝶が羽を広げたような形と形容していますが、それは空から見た形で、地上からはそんな風に見えるのでしょうか?

フランスの軍人のジュール・ブリューネ(1838~1911)の説明もあります。箱館戦争時には旧幕府軍の軍事顧問として指導にあたりますが、敗北後は帰国していますね。
戦争時に、フランスが積極的に旧幕府側=蝦夷共和国を支援していくれれば、という歴史上の「もし?」がありますが、結局北海道は明治政府の支配下に入り、開拓が開拓使の手で進められることになったのです。

この写真は有名な1枚ですね。フランス軍事顧問団と旧幕府側軍人。後ろの日本人は右端の人に比べ、随分背が低いですね。頭一つ以上低い。

ブリューネの出身地である「美しい要塞」の名を持つベルフォールの城が四稜郭に似ているらしく、ここの設計に携わったとのことだそうです。

確かに蝶の羽を広げたように見えなくもないけど・・・。
五稜郭は5つの角がある星型に対して、四稜郭は四国のような地形です。

それでは、入口から入っていきましょう。高さ3mくらいの土塁が見えていますね。その手前に空堀があって・・・やっぱり五稜郭とは比較にならないほどの規模で、これじゃ簡単にやられたことが一目で理解できます。

北側は、山頂部分に雪が残った横津岳連峰が見えています。もっとも、撮影は4月中旬でしたので今から一月以上も前のことで、山に残雪があったのは当然です。
それにしても広大な畑で、ジャガイモかな?それともトウモロコシか?

山をズームして見ましょう。左の尖った山は烏帽子岳(1078m)、右の一番高いところが袴腰岳(1108.3m)。20年以上前のことで昔の話ですが、雪のない季節に縦走したことがあります。

そして、左に眼を移すと連峰の最高峰の山である横津岳(1167m)。山頂には自衛隊の航空レーダー基地がありますが、これは1971年7月3日の「ばんだい号墜落事故」で乗客乗員全員68名が死亡して以後に建設されたものです。白い雪原は、かつてのスキー場跡。
登山するには、9合目まで舗装道路が出来ていますが、レーダー基地までは行けずゲートが降りています。駐車場に車を停めてからおよそ1時間ほどで山頂へ行けます。
なお手前にあるこんもりした山は庄司山(670.4m)。松前藩11代藩主の邦広が松前から城を移そうと計画したことがあったそうです。でも、彼の死去(1743年4月)移城が立ち消えになったとか。

眼を右へ転じると、左から雁皮山(743・4m)、蝦夷松山(667m)の山々が見えています。

で、次回は四稜郭の内部に入っていくことにします。内部はどうなっているのか?
北海道のコロナ感染者数は、東京を越えて47都道府県の中で最大になりました。多くは札幌市や石狩管内ですが、函館市でもここ数日は数人とゼロになることはなし。
変異株も増えてきているし、不安材料が多すぎる!
どうなる日本!緊急事態宣言下でもオリンピックは開催できるのでしょうか?
心配なことばかり続いています。自分で気を付けて行動するしかないのでしょうか?
では、また!
コメント