6月16日水曜日、天気は曇りで最高気温は20℃と出ていましたが、肌寒い天候です。しばらく晴天が続きましたが、今週は曇り空が多いみたい。
旅に出れない日が続いていて、時々テレビで旅番組を見ると「旅に出たい!」と強い思いが湧いてきます。「Youは何しに日本へ?」とか「こころ旅」を見るたびごとに、旅への思いが沸々と出てきて、やっぱり自分は旅が好きなんだな!と改めて思った次第です。
20日に第1回目のワクチン接種をした後で、1泊か2泊程度で近辺を車中泊のテスト旅をしたい!と。

さて、奉行所の3回目です。「歴史再現ゾーン」はいよいよクライマックスへ。
その前に、五稜郭の完成までの歴史をおさらいします。
1857年5月 武田斐三郎が五稜郭の測量開始。
   8月 松川弁之助が土塁築造工事開始。
1862年11月 奉行所建物の建設工事開始。
1864年4月 箱館奉行所庁舎や5か所の橋など五稜郭築造工事がほぼ完了。
   6月 4代目奉行の小出大和守が函館山山麓から五稜郭へ移転し、業務開始。
1865年4月 五稜郭の鎮守府とするために上山村に東照宮を造営。
1866年4月 5代目奉行となる杉浦兵庫頭と交代。
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1867年10月 大政奉還で徳川幕府が崩壊。
1868年4月 杉浦兵庫頭から明治新政府へ五稜郭を引き渡す。清水谷公考総督が奉行所庁舎で対面し          新政府の箱館裁判所が設置される。
同年10月 旧幕府脱走軍が鷲の木に上陸し、五稜郭を占拠。
  12月 榎本武揚を総裁とする蝦夷地仮政権=蝦夷共和国が樹立。
上の写真では、選挙で榎本武揚が総裁に選ばれ、他の役員も決まったことが分かりますね。
土方歳三は陸軍奉行並となります。

使用された銃や大砲の弾。新政府軍の武器はイギリス製の最新鋭のものでしたが、旧幕府軍のは旧式のもので武器の差も大きく戦力に影響しました。
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1869年 五稜郭北東側3㎞の丘陵地に四稜郭を急造します。
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土方歳三最期の地は、函館駅付近の一本木関門辺り。
同年5月18日 五稜郭が明け渡されて箱館戦争は終わりました。
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やっぱり、土方歳三はイケメンですね。だからこそ、亡くなってから150年以上経った今でも花束が添えられたり千羽鶴が飾られたりしているのです。
悪いけど、新選組局長の近藤勇さんの芋顔(失礼!)とは全然違います。
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奉行所屋根の両端に、それぞれ鬼瓦が使われていました。
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1858年9月 美濃の陶工である岩次と為次が、谷地頭で箱館焼を開始している記録があります。
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甕が発見されています。甕が埋められたのは音を反響させるためとか。能舞台があったとか。
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太鼓櫓への階段と太鼓。
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見晴らし台だけではなく、時を知らせる太鼓でもあったのです。当時は時計などなかったから、太鼓の合図で時間が分かったのでしょう。
でも、逆の港からも見えたので艦砲射撃の標的にもなり、命中した記録が残っています。
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5階分の高さに相当する高さに太鼓櫓がありますが、港が見えたほど見晴らしが良かったのでしょうね。当時は高い建物がなかっただけに、広く箱館市街地が見渡せたことでしょう。
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この太鼓を打って知らせたのですね。
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図面でもお分かりのように、かなり急階段です。それを5階分駆け上って、太鼓を打ち馴らして知らせたのです。
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その後はどうなったのか?というと。
1871年(明治4年)1月 開拓使本庁の札幌移転に伴う木材調達の目的で、五稜郭内の奉行所庁舎などの建物を解体します。なお、解体材の大半は函館市内へ払い下げとなっています。
中川嘉兵衛なる人物が、冬凍結する五稜郭堀水から氷を採ることに成功し、「函館氷」として東京方面へ売り出されたそうです。
1914年(大正3年) 前年の1913年に函館区(当時は市ではなかったのです)が管理する陸軍省に無償貸与を請願していて、1年後の1914年に五稜郭を公園として一般に開放されたのでした。

今は凍結はしても水は決してきれいではないし、とても氷として使用できないほど汚れています。それに凍結しても薄くて、人間が氷の上に乗ったら割れてしまいます。厚さは当時よりはずーっと薄いはずです。

10年ぶりの奉行所見学でしたが、オープンした直後とほとんど変わらず色あせたところなどなく、10年経っても新しいままの奉行所再現だったのに驚くと同時に維持管理も大変な作業だったのでは?と感心しました。
これからも、復元されていない場所も少しずつ復元できれば!と思いました。

では、また!