6月29日火曜日、天気は曇りで夜から雨マークが出ていて、今日は1日中曇り空のようです。
さて、ここは歴史館前の森。昨日紹介した倉山卯之助が植えた杉の木でしょうか?今も健在で、うっそうとした森となっています。
この中にベンチがあり、森林浴をしながらランチタイム。

背後に見える歴史館は無料で見学できるし、七飯町は自然が豊かでしかも函館市内へはこれまた無料の自動車道を走れば30分以内で中心街へ、函館空港までも30分で行けるのですから、函館市のベッドタウンになっているのも分かります。

三島神社の前はグランドで、運動会の練習かな?七重小学校の子供たちが行進していました。小学校の名前は七重。中学校の名前は七飯で、小学校は七重村と飯田村の合併前からあったからなのか?
なお飯田村の由来は、1858年に移住した八王子千人同心の飯田甚兵衛が開墾した土地は、飯田郷と呼ばれたそうで、そこから来ています。1879年(明治12年)に飯田村と七重村が合併して七飯村となったのでした。それにしても、七飯を「ななえ」と読むのはかなり厳しいですね。

三島神社のすぐ下を走る国道5号線を北上すること約1㎞で、桜町にある曹洞宗のお寺宝琳寺へ。

実は、このお寺の裏手に箱館戦争の新政府軍戦死者のお墓があるのです。
1868年(明治元年)10月22日峠下で戦いの火ぶたが切られた箱館戦争は、七飯町各地を舞台に戦場となりました。
八王子千人同心のメンバーは、徳川家に仕える身でありながらも旧幕府軍へは加わらず、官軍側へと付き箱館府守備隊として戦うのです。仲間の中には恩顧ある主君徳川家のために、榎本武揚率いる旧幕府軍に参加しようとした人もいましたが、密告もあって失敗。
なぜ、新政府軍へ参加したのか?それは幕府側が脱走軍だったからか?それとも主君の15代将軍の徳川慶喜は大政奉還をして、すでに将軍ではなかったからなのか?

どちらにしても、旧幕府軍が上陸する前に箱館奉行所は新政府側へと変わり、箱館府知事清水谷公考が五稜郭へ入っていました。知事の清水谷は旧幕府軍と戦う決意で、大鳥圭介の旧幕府軍とは話し合いをせず、10月20日峠下村の旅籠で宿営していた大鳥軍部隊を襲撃します。かくして、この日から半年間(1869年5月まで)以上にわたる箱館戦争が始まったのでした。
が、戦いは歴戦練磨の旧幕府軍の勝利で、多くの戦死者を出しましたが、戦後に彼ら新政府側の兵士たちは丁寧に葬られたのです。

こちらは、飯田甚兵衛の地蔵。たくさんの地蔵さんがありますね。

1868年(明治元年)10月24日に戦死した秋山幸太郎のお墓。秋山は八王子千人同心で、七重地方の世話役で頭取を務めていたリーダーでした。

奥の墓かな?と思ったら名前が違い、よく見たら手前の小さなお墓でした。

白い柵の囲みの中は箱館戦争戦死者墓碑群。

5つのお墓がありました。

奥には、草ぼうぼうとなってる中に「荒井信五郎の墓」。

備後福山藩の兵士、橘高助五郎の墓。わざわざ広島の福山から出兵してきたのですね。そういえば、函館護国神社の裏手の墓地群の中にも福山藩出身者のお墓がいつくもありましたものね。

国道5号線を走り藤城地区へ。ここには「史跡藤城地蔵堂」と呼ばれる建物があります。

子安地蔵尊(1849年建立)、三界萬霊塔(1848年建立)、馬頭観音像(1865年建立)の3つ説明されています。中に入って見ましょう。
子安地蔵尊には、村中世話人12名と石工の名が刻まれています。

昭和初期のものと見られる洋風の絵、特に馬の絵が大量に奉納されています。ネット検索したら「妖怪が住んでいる」とか怪しげな記事もありますが、山の中でもないし付近には家も多いのですが。

赤松並木の国道5号線。現在の5号線沿いには1400本の赤松が植栽されています。この道路、日本初の西洋馬車道として1872年(明治5年)に開拓使が開削し翌年に開通したもの。1876年には明治天皇行幸を記念して、七重御薬園(静観園)時代から育ててきた松・杉・ヒノキなどの苗木を植栽し現在に至っている道です。
1986年に「日本の道100選」、平成8年には「歴史国道」に指定されています。

左が国道5号線。無料の自動車道が出来て以来、ここを通行する車の量は激減し、通る車は少なくなりました。
隣りの農家の家が立派ですね。
次回は、七飯のここをもっと詳しく知りたいので、七飯町道の駅「なないろななえ」へ行きます。
では、また!
さて、ここは歴史館前の森。昨日紹介した倉山卯之助が植えた杉の木でしょうか?今も健在で、うっそうとした森となっています。
この中にベンチがあり、森林浴をしながらランチタイム。

背後に見える歴史館は無料で見学できるし、七飯町は自然が豊かでしかも函館市内へはこれまた無料の自動車道を走れば30分以内で中心街へ、函館空港までも30分で行けるのですから、函館市のベッドタウンになっているのも分かります。

三島神社の前はグランドで、運動会の練習かな?七重小学校の子供たちが行進していました。小学校の名前は七重。中学校の名前は七飯で、小学校は七重村と飯田村の合併前からあったからなのか?
なお飯田村の由来は、1858年に移住した八王子千人同心の飯田甚兵衛が開墾した土地は、飯田郷と呼ばれたそうで、そこから来ています。1879年(明治12年)に飯田村と七重村が合併して七飯村となったのでした。それにしても、七飯を「ななえ」と読むのはかなり厳しいですね。

三島神社のすぐ下を走る国道5号線を北上すること約1㎞で、桜町にある曹洞宗のお寺宝琳寺へ。

実は、このお寺の裏手に箱館戦争の新政府軍戦死者のお墓があるのです。
1868年(明治元年)10月22日峠下で戦いの火ぶたが切られた箱館戦争は、七飯町各地を舞台に戦場となりました。
八王子千人同心のメンバーは、徳川家に仕える身でありながらも旧幕府軍へは加わらず、官軍側へと付き箱館府守備隊として戦うのです。仲間の中には恩顧ある主君徳川家のために、榎本武揚率いる旧幕府軍に参加しようとした人もいましたが、密告もあって失敗。
なぜ、新政府軍へ参加したのか?それは幕府側が脱走軍だったからか?それとも主君の15代将軍の徳川慶喜は大政奉還をして、すでに将軍ではなかったからなのか?

どちらにしても、旧幕府軍が上陸する前に箱館奉行所は新政府側へと変わり、箱館府知事清水谷公考が五稜郭へ入っていました。知事の清水谷は旧幕府軍と戦う決意で、大鳥圭介の旧幕府軍とは話し合いをせず、10月20日峠下村の旅籠で宿営していた大鳥軍部隊を襲撃します。かくして、この日から半年間(1869年5月まで)以上にわたる箱館戦争が始まったのでした。
が、戦いは歴戦練磨の旧幕府軍の勝利で、多くの戦死者を出しましたが、戦後に彼ら新政府側の兵士たちは丁寧に葬られたのです。

こちらは、飯田甚兵衛の地蔵。たくさんの地蔵さんがありますね。

1868年(明治元年)10月24日に戦死した秋山幸太郎のお墓。秋山は八王子千人同心で、七重地方の世話役で頭取を務めていたリーダーでした。

奥の墓かな?と思ったら名前が違い、よく見たら手前の小さなお墓でした。

白い柵の囲みの中は箱館戦争戦死者墓碑群。

5つのお墓がありました。

奥には、草ぼうぼうとなってる中に「荒井信五郎の墓」。

備後福山藩の兵士、橘高助五郎の墓。わざわざ広島の福山から出兵してきたのですね。そういえば、函館護国神社の裏手の墓地群の中にも福山藩出身者のお墓がいつくもありましたものね。

国道5号線を走り藤城地区へ。ここには「史跡藤城地蔵堂」と呼ばれる建物があります。

子安地蔵尊(1849年建立)、三界萬霊塔(1848年建立)、馬頭観音像(1865年建立)の3つ説明されています。中に入って見ましょう。
子安地蔵尊には、村中世話人12名と石工の名が刻まれています。

昭和初期のものと見られる洋風の絵、特に馬の絵が大量に奉納されています。ネット検索したら「妖怪が住んでいる」とか怪しげな記事もありますが、山の中でもないし付近には家も多いのですが。

赤松並木の国道5号線。現在の5号線沿いには1400本の赤松が植栽されています。この道路、日本初の西洋馬車道として1872年(明治5年)に開拓使が開削し翌年に開通したもの。1876年には明治天皇行幸を記念して、七重御薬園(静観園)時代から育ててきた松・杉・ヒノキなどの苗木を植栽し現在に至っている道です。
1986年に「日本の道100選」、平成8年には「歴史国道」に指定されています。

左が国道5号線。無料の自動車道が出来て以来、ここを通行する車の量は激減し、通る車は少なくなりました。
隣りの農家の家が立派ですね。
次回は、七飯のここをもっと詳しく知りたいので、七飯町道の駅「なないろななえ」へ行きます。
では、また!
コメント
コメント一覧 (6)
島崎藤村「夜明け前」の「馬籠宿」はバス旅行で行ったことがあります。物語には神経を病む人物が出て来ますが、子どもの頃、うちの近くの瓦屋の亭主の妹が、気が触れて家の座敷牢に閉じ込められていました。藁が敷かれていて、ご本人の髪の毛に藁が一杯ついていた光景や、その座っていた場所や向きまで記憶しています。とても優しい感じのおばさんで、私ら子どもには笑顔でした。今なら大変な人権蹂躙です。可哀想でン十年経った今でも覚えています。変な宗教に入って、おかしな家でした。その家の娘は私と同い年で、私なんかより性格も良く頭のいい子でした。
せ
キャンプは、コロナ禍だから流行しているんですね。密にならないし、何よりもアウトドアで風があるので大丈夫なのでしょう。
北海道は無料または低料金500円以下のキャンプ場が多く、だからか大沼は函館からは車で1時間で来れるので大にぎわいでした。
女性グループや家族つれもいて、安心して泊まれるキャンプ場でしたよ❗
連日詳しい七飯の歴史を写真を混じえて解説して下さり、とても勉強になります。自分がついこの間見てきた場所がまた見れるとうきうきします。
有難うございます!
私もリンゴが好きです!
酸っぱい紅玉みたいなのが1番好きかな〜
アーモンドフェスが再開したら是非ご一緒したいです(◍•ᴗ•◍)
島崎藤村の夜明け前に栗山鋤雲の事が書いてあると聞いて、函館に行く前に図書館で借りてサァーっと読むつもりが、上下巻あり大作だったので、諦めて図書館に返した経緯があります╮(╯_╰)╭
あの本の朗読版を見つけてみようと考えています。
自分はリンゴ、フジが大好きで七飯の農家さんから直接買っています。青森県を旅すると、あちこちで格安で販売していて、それも美味しくて、さすがに日本1の生産県だな、と感心します。サクランボは山形県!道路沿いに生っていて、スーパーで売っている価格よりかなり格安で売ってくれます。東北は果物の宝庫です!