8月23日月曜日、天気は曇りのち晴れで気温は25℃くらいまで上昇し、蒸し暑い日。今日はウォーキングして13000歩、90分歩き汗でびっしょり。それでも500kcalしか消費してなくてガッカリ。
昨夜は、夜通し雷が鳴り響き、うるさくてなかなか寝れず睡眠不足。歩いた後はぐっすりと昼寝をして、夜blogを作成中です。
さて、前回の場所は石狩川河口の「はなますの公園」。石狩川は北海道の母なる川で、大雪山から流れ出た雪解け水が旭川市を通り、石狩平野を北から南へ、そして日本海へと注ぐ長さは日本で第3位の川です。1位は信濃川、2位は利根川ですね。因みに4位も北海道で天塩川です。

公園の名前の通りに、ハマナスの赤紫色の花が咲いていました。

石狩川左岸から右岸へ渡り国道231号線で、日本海沿いを北上し石狩市の厚田区にある道の駅「石狩あいろーど厚田」へ。
以前は厚田村でしたが、2005年10月1日、北の浜益(浜益)村と一緒に石狩市に吸収合併され、厚田区となりました。2018年4月27日、道の駅が開業し今では道内では人気ナンバーワンとなっています。
屋上展望台から撮影した北側で、これから向かう浜益区方面。

一方、こちらは西側で手前には海水浴場でしょうね、海の一部が護岸で囲まれていて、沖に出ないように工夫されています。が、コロナ禍もあって閉鎖中です。遠くに見えるのは積丹半島です。

ランチタイムには早かったけど、混むことを予想してお昼ご飯に。頼んだのは「ニシン丼とニシンそばの定食」。かつてはニシン漁で賑わった地だけに、ニシンを取り扱った料理です。最近、再びニシンが獲れるようになってきましたが・・・。値段もそれなりですが、美味しさもバッチリでした。

北前船の最北ルートでもあり、ここからニシンが積み出されていたのです。それを人形で表現しています。食用として活用された他に、ニシンは油を採って、残りは肥料へ。俵に詰めているのは肥料となったニシン粕で本州へ送られ、菜種、藍、綿花などの商品作物の栽培に欠かせない肥料となったのです。

北前船で運ばれたものとして、主に海産物でニシン粕の他にカズノコ、昆布、干したイワシ、干したナマコなどです。

郷土を伝える人形もありましたので見ていきましょう。作者は、地元の八田美津さんです。「饅頭売り」ですね。子供の頃に食べた記憶あります。
八田美津さんは、浜益生まれで浜益在住の人形作家。

紙芝居。やはり、子供の頃によく見ていました。

小学校へ通うのに、冬は馬そりに乗せてもらって通ったことがありました。
浜益区にはたくさんの果樹園があって、とりわけ開拓使が明治10年に配布したアメリカ産のリンゴの苗木からスタートして、今はリンゴの産地の一つになっています。そのリンゴの秘密がニシン。明治時代は、ニシンのほとんどは食用ではなくニシン〆粕という肥料。それをリンゴ農園に使用して生産したのでした。

昔は、木の机や椅子でしたね。黒板もあって。今は電子黒板と子供たちはタブレットを操作しても授業ですから、隔世の感がありますね。

明治11年に創設された濱益小学校の入学式の風景です。今は、子供が激減して、小学校は少なくなっていますね。あちこちで見かける閉校した校舎があまりにも悲しい。

お母さんたちが茹でているのは何?黄色だったらトウモロコシなんだけど、緑色していますね。樽に漬けているのはなんだろう?
もしかして、緑色のは山菜のフキかな?漬けているのはワラビ?タケノコ?フキ?

これはおにぎり!美味しそう!!

馬で耕していますね。道具はプラウという土起こしの道具。

右の男性が引いているのは、田んぼに稲を植えるための道具で、コロという回転田植え定規で、マス目が付くものです。十字の交差したところに苗を植える道具です。明治20年代に出現し40年代に全国に広く普及したもの。

ということで、ここの道の駅たっぷりと楽しめます。
もちろん、フリーWi-Fiが効いているし、トイレもきれい!ホテル並みです。
冷房完備で、涼しくのんびりと過ごせそう。
で、次回もここの道の駅を紹介して北へ向かいます。
では、また!
昨夜は、夜通し雷が鳴り響き、うるさくてなかなか寝れず睡眠不足。歩いた後はぐっすりと昼寝をして、夜blogを作成中です。
さて、前回の場所は石狩川河口の「はなますの公園」。石狩川は北海道の母なる川で、大雪山から流れ出た雪解け水が旭川市を通り、石狩平野を北から南へ、そして日本海へと注ぐ長さは日本で第3位の川です。1位は信濃川、2位は利根川ですね。因みに4位も北海道で天塩川です。

公園の名前の通りに、ハマナスの赤紫色の花が咲いていました。

石狩川左岸から右岸へ渡り国道231号線で、日本海沿いを北上し石狩市の厚田区にある道の駅「石狩あいろーど厚田」へ。
以前は厚田村でしたが、2005年10月1日、北の浜益(浜益)村と一緒に石狩市に吸収合併され、厚田区となりました。2018年4月27日、道の駅が開業し今では道内では人気ナンバーワンとなっています。
屋上展望台から撮影した北側で、これから向かう浜益区方面。

一方、こちらは西側で手前には海水浴場でしょうね、海の一部が護岸で囲まれていて、沖に出ないように工夫されています。が、コロナ禍もあって閉鎖中です。遠くに見えるのは積丹半島です。

ランチタイムには早かったけど、混むことを予想してお昼ご飯に。頼んだのは「ニシン丼とニシンそばの定食」。かつてはニシン漁で賑わった地だけに、ニシンを取り扱った料理です。最近、再びニシンが獲れるようになってきましたが・・・。値段もそれなりですが、美味しさもバッチリでした。

北前船の最北ルートでもあり、ここからニシンが積み出されていたのです。それを人形で表現しています。食用として活用された他に、ニシンは油を採って、残りは肥料へ。俵に詰めているのは肥料となったニシン粕で本州へ送られ、菜種、藍、綿花などの商品作物の栽培に欠かせない肥料となったのです。

北前船で運ばれたものとして、主に海産物でニシン粕の他にカズノコ、昆布、干したイワシ、干したナマコなどです。

郷土を伝える人形もありましたので見ていきましょう。作者は、地元の八田美津さんです。「饅頭売り」ですね。子供の頃に食べた記憶あります。
八田美津さんは、浜益生まれで浜益在住の人形作家。

紙芝居。やはり、子供の頃によく見ていました。

小学校へ通うのに、冬は馬そりに乗せてもらって通ったことがありました。
浜益区にはたくさんの果樹園があって、とりわけ開拓使が明治10年に配布したアメリカ産のリンゴの苗木からスタートして、今はリンゴの産地の一つになっています。そのリンゴの秘密がニシン。明治時代は、ニシンのほとんどは食用ではなくニシン〆粕という肥料。それをリンゴ農園に使用して生産したのでした。

昔は、木の机や椅子でしたね。黒板もあって。今は電子黒板と子供たちはタブレットを操作しても授業ですから、隔世の感がありますね。

明治11年に創設された濱益小学校の入学式の風景です。今は、子供が激減して、小学校は少なくなっていますね。あちこちで見かける閉校した校舎があまりにも悲しい。

お母さんたちが茹でているのは何?黄色だったらトウモロコシなんだけど、緑色していますね。樽に漬けているのはなんだろう?
もしかして、緑色のは山菜のフキかな?漬けているのはワラビ?タケノコ?フキ?

これはおにぎり!美味しそう!!

馬で耕していますね。道具はプラウという土起こしの道具。

右の男性が引いているのは、田んぼに稲を植えるための道具で、コロという回転田植え定規で、マス目が付くものです。十字の交差したところに苗を植える道具です。明治20年代に出現し40年代に全国に広く普及したもの。

ということで、ここの道の駅たっぷりと楽しめます。
もちろん、フリーWi-Fiが効いているし、トイレもきれい!ホテル並みです。
冷房完備で、涼しくのんびりと過ごせそう。
で、次回もここの道の駅を紹介して北へ向かいます。
では、また!
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