9月26日日曜日、天気は晴れで日中は暖かい秋の日でしたが、さすがに日が暮れると涼しいを通り越して寒いくらい。昼間は半袖でもいいけど、夜外出するときは長袖でないとダメでしょうし、さらに上に羽織るものが必要です。それほど、夏と違って秋の気配が強くなっている昨今です。
さて、2回目となった秋の旅の総集編は、前回紹介した新ひだか町三石の歌笛地区から。集落を歩いていたら「三石産業組合発祥の地」の石碑を発見!
三石の歴史は、ここからスタートしたことが分かります。明治の頃、開拓のために福井県から入植した人々が貧しいながらもここで協同組合を作り、住民みんなで協力しあいながら開拓していったのです。

マンホールを見たら、さすがに日高の地は馬産地だけあって、馬の絵。

歌笛小学校へ行って見ました。残念ながら廃校になっていて、子供の姿はありません。あちこちで廃校の跡を見るけど、校舎は立派ですが子供がいないのです。実にもったいないことです。

十分使用できる校舎ですが、誰も利用する人はおらず、体育館だって地区の住民は高齢化しているから、スポーツをする人などほとんどいないのです。

続いて、数キロ離れた場所にあった川上小学校跡。ここも立派な鉄筋コンクリート造りの校舎です。
ここだって、十分利用できる建物だけど、そのまま放置。何とかならないものなのでしょうか?
それこそ、海外の難民や日本移住を希望する若い人たちに来てもらって、活用してもらいたいです。

左はプールの跡ですね。ここは海から10km以上も離れた内陸部だから、プールで泳ぎを学んだのでしょう。

海岸部へ戻る途中、馬の牧場を見学。最近は、インド人の馬の調教する人たちが多いのです。わざわざ、インドから来て、ここで寝泊まりしながら馬を育てているのです。よく道内ニュースでも取り上げています。日本人の若い人たちは、ここで働かないのでしょうね。みんな都会へと、出ていくからでしょう。

続いて様似町へ。ここは国道から100mほど登った展望台。車で展望台まで来れます。

海に大きな岩がありますが、これは太古の昔の火山活動によって、形成された溶岩の塊。様似にあるアポイ岳はジオパークに認定されていて、地理や地学の学習の場。標高こそ810mと高くはないけど、珍しい高山植物群が見られる稀有な地でもあるのです。
海洋性の気候と地質により固有種を含め、80種類以上の高山植物が群落しているのです。

残念ながら、アポイ岳は雲に隠れて山頂は見えず。10年ほど前に晴れた日、登ったことがありますが、標高の割には結構きつかったこと記憶があります。

様似の町も見えていますね。ここでは、あるお寺も訪ねたかったのですが、それは最後に紹介します。

この地図を見れば、様似の町の様子が分かりますね。晴れた日にアポイ岳もクッキリ見えるのですが。

旧日高線の様似駅は、今はバスターミナルと観光案内所。この建物のとなりにきれいなトイレがあって、ここだと駐車場も広いから車中泊も出来そうです。町中だから買い物も出来るし、安心して寝れますね。それに国道からは100m離れているからうるさくないし、周辺は閑静な場所ですし。

国鉄時代から、さらにJR北海道の時代もここが終点。これ以上先には線路は伸びていなかったのです。

なんか、もったいないですね。日高線廃止されたけど、利用方法がないのかなぁ。

訪れたかったお寺は等澍院。江戸時代、幕府が蝦夷地に建てた三大官寺の一つです。伊達市の有珠にある善光寺と厚岸にある国泰寺とここなのです。宗派は天台宗で、道内では少数派で10数か所しかないそうです。

数年前に、ここの内部も訪ねてここの住職さんとお話ししたことがあります。内部も詳しく見せていただき、それはblogにもアップしていますので、今回は外観だけ撮影。

扉には、葵のマーク。徳川家の家紋ですね。

ということで、様似町からさらに南下します。
様似町から南へ、というと後は日高管内にはえりも町しかありませんね。えりもと云えば、襟裳岬。
次回は襟裳岬を取り上げます。
では、また!
さて、2回目となった秋の旅の総集編は、前回紹介した新ひだか町三石の歌笛地区から。集落を歩いていたら「三石産業組合発祥の地」の石碑を発見!
三石の歴史は、ここからスタートしたことが分かります。明治の頃、開拓のために福井県から入植した人々が貧しいながらもここで協同組合を作り、住民みんなで協力しあいながら開拓していったのです。

マンホールを見たら、さすがに日高の地は馬産地だけあって、馬の絵。

歌笛小学校へ行って見ました。残念ながら廃校になっていて、子供の姿はありません。あちこちで廃校の跡を見るけど、校舎は立派ですが子供がいないのです。実にもったいないことです。

十分使用できる校舎ですが、誰も利用する人はおらず、体育館だって地区の住民は高齢化しているから、スポーツをする人などほとんどいないのです。

続いて、数キロ離れた場所にあった川上小学校跡。ここも立派な鉄筋コンクリート造りの校舎です。
ここだって、十分利用できる建物だけど、そのまま放置。何とかならないものなのでしょうか?
それこそ、海外の難民や日本移住を希望する若い人たちに来てもらって、活用してもらいたいです。

左はプールの跡ですね。ここは海から10km以上も離れた内陸部だから、プールで泳ぎを学んだのでしょう。

海岸部へ戻る途中、馬の牧場を見学。最近は、インド人の馬の調教する人たちが多いのです。わざわざ、インドから来て、ここで寝泊まりしながら馬を育てているのです。よく道内ニュースでも取り上げています。日本人の若い人たちは、ここで働かないのでしょうね。みんな都会へと、出ていくからでしょう。

続いて様似町へ。ここは国道から100mほど登った展望台。車で展望台まで来れます。

海に大きな岩がありますが、これは太古の昔の火山活動によって、形成された溶岩の塊。様似にあるアポイ岳はジオパークに認定されていて、地理や地学の学習の場。標高こそ810mと高くはないけど、珍しい高山植物群が見られる稀有な地でもあるのです。
海洋性の気候と地質により固有種を含め、80種類以上の高山植物が群落しているのです。

残念ながら、アポイ岳は雲に隠れて山頂は見えず。10年ほど前に晴れた日、登ったことがありますが、標高の割には結構きつかったこと記憶があります。

様似の町も見えていますね。ここでは、あるお寺も訪ねたかったのですが、それは最後に紹介します。

この地図を見れば、様似の町の様子が分かりますね。晴れた日にアポイ岳もクッキリ見えるのですが。

旧日高線の様似駅は、今はバスターミナルと観光案内所。この建物のとなりにきれいなトイレがあって、ここだと駐車場も広いから車中泊も出来そうです。町中だから買い物も出来るし、安心して寝れますね。それに国道からは100m離れているからうるさくないし、周辺は閑静な場所ですし。

国鉄時代から、さらにJR北海道の時代もここが終点。これ以上先には線路は伸びていなかったのです。

なんか、もったいないですね。日高線廃止されたけど、利用方法がないのかなぁ。

訪れたかったお寺は等澍院。江戸時代、幕府が蝦夷地に建てた三大官寺の一つです。伊達市の有珠にある善光寺と厚岸にある国泰寺とここなのです。宗派は天台宗で、道内では少数派で10数か所しかないそうです。

数年前に、ここの内部も訪ねてここの住職さんとお話ししたことがあります。内部も詳しく見せていただき、それはblogにもアップしていますので、今回は外観だけ撮影。

扉には、葵のマーク。徳川家の家紋ですね。

ということで、様似町からさらに南下します。
様似町から南へ、というと後は日高管内にはえりも町しかありませんね。えりもと云えば、襟裳岬。
次回は襟裳岬を取り上げます。
では、また!
コメント
コメント一覧 (3)
廃校になった学校の校舎は、北海道だけではなく全国各地の田舎に見られます。何とかして有効利用している校舎はその価値がありますが、立派な校舎や体育館がまったく使用されずに朽ちるまで放置されている現状はもったいない、どころか怒りを覚えます。何かに使えないのか!と。いろいろと国がリードして使用できるようになってもらいたです。
といっても、国民が選んだ首相ではないので何ともしがたいく、歯がゆいものです。
早く国民は選挙で選ぶ仕組みを作ってもらいたいものです。今のままでは、自民党員しか首相を選べない仕組みですからね。