6月28日火曜日、天気は雨で激しく降っている時間帯もあって何度か「豪雨警報」のアラームが鳴っています。気温は最高で23℃だから涼しいよりも寒いくらいで、1枚余計に羽織る必要があるほどですす。今日は外を歩くことが出来そうにないです。
今も、またアラームが鳴って「豪雨予報 激しい雨(30mm/h)」が出ました。
さて、4月の旅で訪れた北秋田市阿仁の「旧阿仁鉱山外国人官舎」です。異人館とも呼ばれている建物です。

こちらは井戸。明治政府の殖産興業政策の一環で、阿仁鉱山は官営になりドイツ人始めお雇い外国人がべらぼうな高給取りとして働きました。電話や電気も導入され、この井戸も動力ポンプ揚水で掘削されていたのです。

それでも動かすのは人間のパワーだから、結構力が必要ですね。

左の「坑夫の試験石」が気になりました。かなり大きな、重さは軽く100㎏は超えていますね。

持ったんじゃなくて安心しました。このような大きな石に爆薬を詰める穴を掘るためのテスト石なんですね。てっきり、これを持つのかな?と思ったのでした。

こちらは庚申様。

金毘羅大権現。やっぱり、山での仕事は危険を伴うから信心深くなりますね。どこの鉱山でもありますよね。

こちらの石は何か?というと。

「からみ」という名の銅を採取した後の不純物。いわば残りかすですね。

奥は、秋田内陸縦貫鉄道の車両基地で、本社は右の建物です。

柵も何もない。大都市圏では列車を撮影する時、いわゆる「撮り鉄」たちがホームで押すな押すなで罵声も聞こえてくるほどですが、ここではそんな人もいません。自由に撮影できますね。

外国人官舎「異人館」の煉瓦は、イギリス積みでした。

1882年(明治15年)の阿仁鉱山では外国人技術者が5名いて官舎は2棟あったといいます。火災で大型の一棟は焼失しましたが、現在公開している小さな方の一棟が残っているのです。

イギリスから輸入された鉄道のレール。
そうやって見れば、ここ阿仁は明治時代の初めから産業が起こり、数多くの人々が生活してた町だったことが分かります。

では、「伝承館」と呼ばれる建物に入館しましょう。確か入館料は300円だったかな?
踊りのマネキンですが、こんなきれいな女性がいたのかなぁ?もっとも、秋田美人の地だからいたことでしょう。

6か所に鉱山があって、それぞれに町が形成されていたのです。地祇に来るときはそれらも巡ってみたい!


調べてみたら、江戸時代から採掘されていた歴史があるのですね。金を始め銀や銅などが採掘され、とくに銀や銅は多く、1716年には銅の生産は日本1になったとか。鎖国をしていた江戸幕府の唯一の貿易港である長崎港から輸出された銅の大部分を占めていたとか。
秋田藩の直営となって、明治後は官営鉱山になったのです。閉山は1978年だから、45年前のこと。

官営後は古河財閥に払い下げられて、その後も戦後昭和53年まで経営されていたのです。

最後に、阿仁町時代のマンホールは熊さん親子。さすがはマタギの里だけありますね!

どれだけ歴史があるのか?それを調べるために阿仁町を散策しました。例えば歴史的建造物とか、お寺や神社とか。それは次回に詳しくお伝えします。
では、また!
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さて、4月の旅で訪れた北秋田市阿仁の「旧阿仁鉱山外国人官舎」です。異人館とも呼ばれている建物です。

こちらは井戸。明治政府の殖産興業政策の一環で、阿仁鉱山は官営になりドイツ人始めお雇い外国人がべらぼうな高給取りとして働きました。電話や電気も導入され、この井戸も動力ポンプ揚水で掘削されていたのです。

それでも動かすのは人間のパワーだから、結構力が必要ですね。

左の「坑夫の試験石」が気になりました。かなり大きな、重さは軽く100㎏は超えていますね。

持ったんじゃなくて安心しました。このような大きな石に爆薬を詰める穴を掘るためのテスト石なんですね。てっきり、これを持つのかな?と思ったのでした。

こちらは庚申様。

金毘羅大権現。やっぱり、山での仕事は危険を伴うから信心深くなりますね。どこの鉱山でもありますよね。

こちらの石は何か?というと。

「からみ」という名の銅を採取した後の不純物。いわば残りかすですね。

奥は、秋田内陸縦貫鉄道の車両基地で、本社は右の建物です。

柵も何もない。大都市圏では列車を撮影する時、いわゆる「撮り鉄」たちがホームで押すな押すなで罵声も聞こえてくるほどですが、ここではそんな人もいません。自由に撮影できますね。

外国人官舎「異人館」の煉瓦は、イギリス積みでした。

1882年(明治15年)の阿仁鉱山では外国人技術者が5名いて官舎は2棟あったといいます。火災で大型の一棟は焼失しましたが、現在公開している小さな方の一棟が残っているのです。

イギリスから輸入された鉄道のレール。
そうやって見れば、ここ阿仁は明治時代の初めから産業が起こり、数多くの人々が生活してた町だったことが分かります。

では、「伝承館」と呼ばれる建物に入館しましょう。確か入館料は300円だったかな?
踊りのマネキンですが、こんなきれいな女性がいたのかなぁ?もっとも、秋田美人の地だからいたことでしょう。

6か所に鉱山があって、それぞれに町が形成されていたのです。地祇に来るときはそれらも巡ってみたい!


調べてみたら、江戸時代から採掘されていた歴史があるのですね。金を始め銀や銅などが採掘され、とくに銀や銅は多く、1716年には銅の生産は日本1になったとか。鎖国をしていた江戸幕府の唯一の貿易港である長崎港から輸出された銅の大部分を占めていたとか。
秋田藩の直営となって、明治後は官営鉱山になったのです。閉山は1978年だから、45年前のこと。

官営後は古河財閥に払い下げられて、その後も戦後昭和53年まで経営されていたのです。

最後に、阿仁町時代のマンホールは熊さん親子。さすがはマタギの里だけありますね!

どれだけ歴史があるのか?それを調べるために阿仁町を散策しました。例えば歴史的建造物とか、お寺や神社とか。それは次回に詳しくお伝えします。
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