8月24日水曜日、天気は快晴で気温は最高で28℃まで上がるようですが、湿度が低いから過ごしやすい最後の夏の日、いや秋の始まりと云った感じです。
少しずつですが気温や湿度が下がり始めているし、夜は窓を開けて寝ていますが寝苦しさはなく快適な眠りについていて、夏の終わりを感じさせます。食べ物でも早稲のリンゴが出ているし、トウモロコシも安く食べれるようになったし、我が家の畑でもミョウガが採れ出し食べていて、もう秋だなぁ!と。
さて、ここは十勝管内上士幌町のナイタイ高原牧場。下界は晴れていたけど、標高800m近い高原では曇り空。十勝平野が一望できるかな?と思ったけど、それは無理でした。
それでも、牛たちはのんびりと草を食べています。広々とした牧草地、汚れのない澄んだ美味しい空気は、牛たちにとっては天国みたいな場所でしょう。

ここは3度来ているけど、一度もカラッと晴れたことはなくいつもこんな感じで、やはり自分は雨男なのか?でも、何回か来れば晴れることもあるでしょう。

で、下界に降りて来てここは士幌町の駅跡。上士幌町の南に士幌町があります。

士幌駅舎が今も健在。
国鉄士幌線は、帯広駅から北へ延びる鉄道で大雪山系の麓の十勝三股駅までの路線距離78.3㎞、駅数20、しかし民営化される前の1987年3月に廃止されています。

駅板も残っていますね。

鉄道が唯一の交通手段だった大正時代から建設が始められて、戦前の昭和14年に十勝三股駅まで開通しています。当時は、道内産の木材の需要があって、現在はほとんど無人に近い十勝三股駅ですが、戦前は1500人以上が住み飲食店や劇場もあったそうです。それだけ多くの人々が生活していたから鉄道も敷設されたのでしょう。
でも、戦後は輸入木材が安くて道内産は売れず、それにトラック輸送に切り替わったので鉄道は必要なくなり廃止されたのです。人間だって車の方が楽だから、わざわざ汽車に乗らなくてもよくなったのです。

その後は、鹿追駅跡へ。ここは国鉄ではなく、私鉄の北海道拓殖鉄道の駅があった場所。

当時の蒸気機関車が展示されています。前についているのは、雪をはねるラッセルです。さすがは、冬対策バッチリです。

新得駅から延びていた鉄道で、新得駅は根室本線が走る重要な駅で、それに接続できる路線だったから農林産物の輸送が出来たのでしょう。ここも、昭和43年に廃止されました。

鹿追町の中心街から少し離れたところのスポーツ公園になっていて、サッカー場では子供たちがサッカーに興じていました。おそらく昔鉄道が走っていたなんて、想像もつかないでしょうね。

その日は、鹿追町の道の駅「しかおい」で車中泊。翌朝帯広市へ行くために出発してすぐ、旧駅逓を発見!

鹿追の猫たちが歓迎?表情から見ると、怪しい奴だ!と警戒かな?

明治時代に造られ、大正時代までは駅逓があったのですね。

場所は、市街地から南へ2㎞程行った交差点です。ここには「鹿追町発祥の地」の碑も。

1902年(明治35年)に入植後、開拓が始まったのです。当時は原生林がうっそうと茂る未開の地。よくぞ開拓してくれました!今では農産物や酪農が盛んな十勝農業を支える大事な町となっていますからね。

鹿追村発祥の地、こちらは古い石碑ですね。

開拓五十年記念とあるから、1952年に建てられた石碑で、ちょうど私が生まれた年。もう70年も前の碑です。

で、この後は帯広市へと向かい、帯広市博物館で十勝の歴史を学ぶことにしたのでした。
それは次回で紹介します。
では、また!

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少しずつですが気温や湿度が下がり始めているし、夜は窓を開けて寝ていますが寝苦しさはなく快適な眠りについていて、夏の終わりを感じさせます。食べ物でも早稲のリンゴが出ているし、トウモロコシも安く食べれるようになったし、我が家の畑でもミョウガが採れ出し食べていて、もう秋だなぁ!と。
さて、ここは十勝管内上士幌町のナイタイ高原牧場。下界は晴れていたけど、標高800m近い高原では曇り空。十勝平野が一望できるかな?と思ったけど、それは無理でした。
それでも、牛たちはのんびりと草を食べています。広々とした牧草地、汚れのない澄んだ美味しい空気は、牛たちにとっては天国みたいな場所でしょう。

ここは3度来ているけど、一度もカラッと晴れたことはなくいつもこんな感じで、やはり自分は雨男なのか?でも、何回か来れば晴れることもあるでしょう。

で、下界に降りて来てここは士幌町の駅跡。上士幌町の南に士幌町があります。

士幌駅舎が今も健在。
国鉄士幌線は、帯広駅から北へ延びる鉄道で大雪山系の麓の十勝三股駅までの路線距離78.3㎞、駅数20、しかし民営化される前の1987年3月に廃止されています。

駅板も残っていますね。

鉄道が唯一の交通手段だった大正時代から建設が始められて、戦前の昭和14年に十勝三股駅まで開通しています。当時は、道内産の木材の需要があって、現在はほとんど無人に近い十勝三股駅ですが、戦前は1500人以上が住み飲食店や劇場もあったそうです。それだけ多くの人々が生活していたから鉄道も敷設されたのでしょう。
でも、戦後は輸入木材が安くて道内産は売れず、それにトラック輸送に切り替わったので鉄道は必要なくなり廃止されたのです。人間だって車の方が楽だから、わざわざ汽車に乗らなくてもよくなったのです。

その後は、鹿追駅跡へ。ここは国鉄ではなく、私鉄の北海道拓殖鉄道の駅があった場所。

当時の蒸気機関車が展示されています。前についているのは、雪をはねるラッセルです。さすがは、冬対策バッチリです。

新得駅から延びていた鉄道で、新得駅は根室本線が走る重要な駅で、それに接続できる路線だったから農林産物の輸送が出来たのでしょう。ここも、昭和43年に廃止されました。

鹿追町の中心街から少し離れたところのスポーツ公園になっていて、サッカー場では子供たちがサッカーに興じていました。おそらく昔鉄道が走っていたなんて、想像もつかないでしょうね。

その日は、鹿追町の道の駅「しかおい」で車中泊。翌朝帯広市へ行くために出発してすぐ、旧駅逓を発見!

鹿追の猫たちが歓迎?表情から見ると、怪しい奴だ!と警戒かな?

明治時代に造られ、大正時代までは駅逓があったのですね。

場所は、市街地から南へ2㎞程行った交差点です。ここには「鹿追町発祥の地」の碑も。

1902年(明治35年)に入植後、開拓が始まったのです。当時は原生林がうっそうと茂る未開の地。よくぞ開拓してくれました!今では農産物や酪農が盛んな十勝農業を支える大事な町となっていますからね。

鹿追村発祥の地、こちらは古い石碑ですね。

開拓五十年記念とあるから、1952年に建てられた石碑で、ちょうど私が生まれた年。もう70年も前の碑です。

で、この後は帯広市へと向かい、帯広市博物館で十勝の歴史を学ぶことにしたのでした。
それは次回で紹介します。
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