8月27日土曜日、天気は曇りで雨のマークも出ていて気温も涼しいを通り越して少し寒いくらい。もう北海道は、すっかり秋の気配です。
ここは帯広市の郊外、かつて一世を風靡した旧国鉄広尾線の「幸福駅」です。
黄色の名札は近くの売店で売られているもので、ここを訪問した人がいろいろと願いを書いて貼っています。

前日は、次の駅にもあるように中札内村で、鉄道駅ではなく道の駅で車中泊。今の時代は鉄道は廃止され、道の駅がドンドン出来ていて、駅と云ったら「道の駅」が想像されるようになっていますね。
幸福駅の名前の由来は、アイヌ語の「サッナイ」に入植者が「幸震(さつない)」と漢字で書き、後に読み方を「幸震(こうしん)」村となり、福井県出身者が多かった土地だったので、幸と福を合わせて「幸福」という地名が誕生したことから、後に鉄道が敷かれた時に「幸福駅」が出来たという歴史があります。

続いて大正駅へ。幸福駅からは北へ5㎞程行った場所。
旧広尾線は、1929年に開業し1987年に廃止された総延長84㎞、駅数17の全線非電化単線のローカル鉄道でした。
大正駅の名は、大正村だったのでそのまま村名が駅名となったのです。おそらく大正時代に開拓が進んだからでしょう。大正村は、後に帯広市へ併合されます。

この日はあいにくの雨。傘を差しながらの撮影でした。ここの駅表示板は、手作りで恐らくは有志による町おこしの一環でしょうね。幸福駅と愛国駅ばかりが人気になって、その間にある「大正駅」を忘れてほしくないから、これを作り周辺を公園化したのでは?

で、愛国駅へ。大正駅からは4㎞程の距離。帯広市街地からは5㎞くらい南に位置しています。
駅舎が交通記念館になっていて、内部にはかつての備品などが展示されています。もちろん無料で見学できます。

「恋人たちの聖地」だそうです。
なぜ愛国駅となったのか?というと、ここの農地を開拓したのが「愛国青年団」だったからだそうです。戦前の話ですので、「愛国」は普通に使用されていた言葉だったのでしょう。今では若い人たちには使われない言葉ですが、当時(大正時代から昭和初期)にかけてはそんな教育がされていたからでしょうね。愛と云っても、今の時代のLoveと違い、戦争と関係していた時代の話です。

この切符、全国で売られましたし、旅のお土産には最高でした。軽いし、安いし、有名だったから、一番のお土産になったのでは?
それにしても、すごいブームでしたね。自分も何枚ももらいました。

建物の中に入ると、歴史や思い出の道具が展示。タブレットは、どこの地方単線では必要なものだったのです。最近では、2014年だったかな?江差線の廃止で「湯ノ岱駅」で駅長さんが渡すのを目撃しています。


明治29年に入植が始まったそうですね。
明治29年と云ったら1896年のこと。前年に日清戦争が終了し、日本は下関条約で清国から多額の賠償金と領土(台湾など)を奪います。それに対してロシアがドイツ、フランスを誘い三国干渉をしてきました。そんな時代だったから、ロシアに対して敵対心が燃え上がり「愛国」という言葉が使われたのでしょう。

蒸気機関車が展示されていますが、レトロブームで今は人気ですが、自分は良い思い出がないのです。汽車で旅すると、トンネルに入ると窓を閉めなければいけない→なぜなら煤で真っ黒になるから。
それに冷房のない時代だったし、夏は窓を開けていたので窓の開け閉めが何度もやらなければいけなかったのです。蒸気機関車には乗りたくない!もうこりごり!というのが本音です。


周囲は、愛国青年団が開拓したであろう(?)小麦畑が広がっています。すくすく伸びていて、国内の小麦生産のほとんどが十勝産ですが、ただ消費量はわずか14%。86%が輸入に頼っているのです。それはカナダ、アメリカ、オーストラリアなど。ロシアやウクライナからはさすがに遠いから来ないですね。


ということで、この日は雨の中を西へ。妹背牛町で「HO」を使い温泉へ。隣町の秩父別(ちっぷべつ)町の道の駅で車中泊。で、次回は旭川市へ行き廃止されたある駅を見学してきます。
では、また!

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ここは帯広市の郊外、かつて一世を風靡した旧国鉄広尾線の「幸福駅」です。
黄色の名札は近くの売店で売られているもので、ここを訪問した人がいろいろと願いを書いて貼っています。

前日は、次の駅にもあるように中札内村で、鉄道駅ではなく道の駅で車中泊。今の時代は鉄道は廃止され、道の駅がドンドン出来ていて、駅と云ったら「道の駅」が想像されるようになっていますね。
幸福駅の名前の由来は、アイヌ語の「サッナイ」に入植者が「幸震(さつない)」と漢字で書き、後に読み方を「幸震(こうしん)」村となり、福井県出身者が多かった土地だったので、幸と福を合わせて「幸福」という地名が誕生したことから、後に鉄道が敷かれた時に「幸福駅」が出来たという歴史があります。

続いて大正駅へ。幸福駅からは北へ5㎞程行った場所。
旧広尾線は、1929年に開業し1987年に廃止された総延長84㎞、駅数17の全線非電化単線のローカル鉄道でした。
大正駅の名は、大正村だったのでそのまま村名が駅名となったのです。おそらく大正時代に開拓が進んだからでしょう。大正村は、後に帯広市へ併合されます。

この日はあいにくの雨。傘を差しながらの撮影でした。ここの駅表示板は、手作りで恐らくは有志による町おこしの一環でしょうね。幸福駅と愛国駅ばかりが人気になって、その間にある「大正駅」を忘れてほしくないから、これを作り周辺を公園化したのでは?

で、愛国駅へ。大正駅からは4㎞程の距離。帯広市街地からは5㎞くらい南に位置しています。
駅舎が交通記念館になっていて、内部にはかつての備品などが展示されています。もちろん無料で見学できます。

「恋人たちの聖地」だそうです。
なぜ愛国駅となったのか?というと、ここの農地を開拓したのが「愛国青年団」だったからだそうです。戦前の話ですので、「愛国」は普通に使用されていた言葉だったのでしょう。今では若い人たちには使われない言葉ですが、当時(大正時代から昭和初期)にかけてはそんな教育がされていたからでしょうね。愛と云っても、今の時代のLoveと違い、戦争と関係していた時代の話です。

この切符、全国で売られましたし、旅のお土産には最高でした。軽いし、安いし、有名だったから、一番のお土産になったのでは?
それにしても、すごいブームでしたね。自分も何枚ももらいました。

建物の中に入ると、歴史や思い出の道具が展示。タブレットは、どこの地方単線では必要なものだったのです。最近では、2014年だったかな?江差線の廃止で「湯ノ岱駅」で駅長さんが渡すのを目撃しています。


明治29年に入植が始まったそうですね。
明治29年と云ったら1896年のこと。前年に日清戦争が終了し、日本は下関条約で清国から多額の賠償金と領土(台湾など)を奪います。それに対してロシアがドイツ、フランスを誘い三国干渉をしてきました。そんな時代だったから、ロシアに対して敵対心が燃え上がり「愛国」という言葉が使われたのでしょう。

蒸気機関車が展示されていますが、レトロブームで今は人気ですが、自分は良い思い出がないのです。汽車で旅すると、トンネルに入ると窓を閉めなければいけない→なぜなら煤で真っ黒になるから。
それに冷房のない時代だったし、夏は窓を開けていたので窓の開け閉めが何度もやらなければいけなかったのです。蒸気機関車には乗りたくない!もうこりごり!というのが本音です。


周囲は、愛国青年団が開拓したであろう(?)小麦畑が広がっています。すくすく伸びていて、国内の小麦生産のほとんどが十勝産ですが、ただ消費量はわずか14%。86%が輸入に頼っているのです。それはカナダ、アメリカ、オーストラリアなど。ロシアやウクライナからはさすがに遠いから来ないですね。


ということで、この日は雨の中を西へ。妹背牛町で「HO」を使い温泉へ。隣町の秩父別(ちっぷべつ)町の道の駅で車中泊。で、次回は旭川市へ行き廃止されたある駅を見学してきます。
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