9月24日土曜日、天気は昨夜から雨が降っていたがそれも午前9時を過ぎたあたりから止み、午後は完全に晴れ渡り湿度も少なく澄み切った空気の下での、まさしく正真正銘の秋晴れの日となりました。
台風14号の影響で静岡県では死者も出るほどの大災害になっていますが、今年は9月毎週末に台風が襲来し被害をもたらしていて、これも最近の異常気象の現れでしょうか?今年の夏は気温も異常に高かったし、この先日本は、世界はどうなっていくのかとても心配です。
さて、ここは別海町の奥行臼(おくゆきうす)。国道243号線から少しだけ内陸部へ入ったところです。別海町の1.5万人ほどですが、ここ奥行臼はほとんど人はいません。この辺りに人家は見当たらず、人が生活している気配はまったくないのです。
でも、ここには昔、別海村の村営軌道が運行されていて、ここに停留所があったのです。

このオレンジ色の車体、ディーゼル、つまり軽油をエネルギーとする内燃機関の気動車(レールバス)で、電車ではありません。線路の幅も狭く、狭軌の線路で762㎜でしょう。一般のJRの路線は1067㎜、新幹線は1435㎜なので、かなり狭い線路幅です。
で、ここには駅があったのです。といっても、駅というよりは正式には停留所。バス停みたいなものでしょうか。路線名は風蓮線。前回までblogで紹介した風蓮湖付近を走るので名付けられた路線名です。

地図を見ると、転車台もあるし、車庫もありますね。道路の向かい側には旧国鉄の奥行臼駅もあったのです。

中をのぞくと、やっぱり狭い車内。両側に長いベンチシート、上には網棚、両端には運転席とハンドルがありますね。定員は満員で40人くらいか?

20世紀の初め、1910年(明治43年)根室からの交通手段として植民軌道が敷設され、当時の別海村全域で線路が敷かれています。1934年(昭和9年)に中標津・厚床間にこの村営軌道が開通して、ここが出来ていますね。
廃止は1971年(昭和46年)のことですから、廃止されてから半世紀・50年以上経過しています。

奥には、ミルクを運ぶゴンドラ車もありますよ。

後ろの貨車にミルク缶を運び、旧国鉄の鉄道駅へ。そこから釧路や札幌方面へと運ばれ牛乳となったのでしょうか?今では専用のタンクローリーのトラックが走り、パイプ(ホース)で流しているから、当時の手仕事に比べたら格段に楽になったはずです。

こちらが転車台。向きを換えるのに使ったのです。方向転換のための施設で、おそらく人力で回転させたはず。

車庫は、完全に自然に帰っていますね。草木に覆われてしまい車庫の跡かともなし。
この辺、ヒグマ出没地域で、あちこちに「クマ出没!注意」の看板あり。
もちもん、ホイッスルを吹きリュックにはクマ除け鈴を付けていて、鈴を鳴らしています。

道路を挟んで向かい側にある旧国鉄の奥行臼駅へと行ってみましょう。
90年ほど前の、木造の駅舎が今も健在です。

開業は1933年(昭和8年)のこと。標津線では最も古い駅でした。駅舎は昭和初期の建築様式で廃止された標津線の駅の中では唯一現存するものだそうです。

廃止される前に、ここの鉄道に乗って見たかったです。原野の中を走る蒸気機関車を想像するだけで楽しそう!

こちらは正面入口です。これからも保存してもらいたい!と願うばかりです。

少し離れた場所にある奥行臼駅逓所。当時の建物を復元していますね。

北海道には、1000か所以上の駅逓がありました。駅逓とは、現在の鉄道駅+道の駅+郵便局+旅館+馬屋+食事提供所などで、旅人と交通手段の馬をもてなしていた建築物です。100年後の今、道内で現存しているのはわずか10か所もありません。

ヒグマ出没中で、内部公開は閉鎖していて中止。たまたま、窓を開けて掃除中だったので、外から窓越しに撮影させてもらいました。奥は資料展示室のようです。手前は応接部屋かな?

奥と手前の部屋は客室のようです。電気のない時代だったから、ランプの灯りを灯していたのでしょうね。

1910年(明治43年)に設置され、取扱人の山崎藤次郎氏の自宅を増築して1930年まで使用していたとのこと。廃止された理由は、そのころには鉄道が敷かれ馬を交通手段として利用しなくなったからでしょう。駅逓所の近くに村営軌道の停留所と旧国鉄駅が駅が出来て、活発に使用されたからですね。
次回は、風蓮湖の秘境である行き止まりの集落、「走古丹(ハシリコタン)」へと向かいます。


では、また!
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台風14号の影響で静岡県では死者も出るほどの大災害になっていますが、今年は9月毎週末に台風が襲来し被害をもたらしていて、これも最近の異常気象の現れでしょうか?今年の夏は気温も異常に高かったし、この先日本は、世界はどうなっていくのかとても心配です。
さて、ここは別海町の奥行臼(おくゆきうす)。国道243号線から少しだけ内陸部へ入ったところです。別海町の1.5万人ほどですが、ここ奥行臼はほとんど人はいません。この辺りに人家は見当たらず、人が生活している気配はまったくないのです。
でも、ここには昔、別海村の村営軌道が運行されていて、ここに停留所があったのです。

このオレンジ色の車体、ディーゼル、つまり軽油をエネルギーとする内燃機関の気動車(レールバス)で、電車ではありません。線路の幅も狭く、狭軌の線路で762㎜でしょう。一般のJRの路線は1067㎜、新幹線は1435㎜なので、かなり狭い線路幅です。
で、ここには駅があったのです。といっても、駅というよりは正式には停留所。バス停みたいなものでしょうか。路線名は風蓮線。前回までblogで紹介した風蓮湖付近を走るので名付けられた路線名です。

地図を見ると、転車台もあるし、車庫もありますね。道路の向かい側には旧国鉄の奥行臼駅もあったのです。

中をのぞくと、やっぱり狭い車内。両側に長いベンチシート、上には網棚、両端には運転席とハンドルがありますね。定員は満員で40人くらいか?

20世紀の初め、1910年(明治43年)根室からの交通手段として植民軌道が敷設され、当時の別海村全域で線路が敷かれています。1934年(昭和9年)に中標津・厚床間にこの村営軌道が開通して、ここが出来ていますね。
廃止は1971年(昭和46年)のことですから、廃止されてから半世紀・50年以上経過しています。

奥には、ミルクを運ぶゴンドラ車もありますよ。

後ろの貨車にミルク缶を運び、旧国鉄の鉄道駅へ。そこから釧路や札幌方面へと運ばれ牛乳となったのでしょうか?今では専用のタンクローリーのトラックが走り、パイプ(ホース)で流しているから、当時の手仕事に比べたら格段に楽になったはずです。

こちらが転車台。向きを換えるのに使ったのです。方向転換のための施設で、おそらく人力で回転させたはず。

車庫は、完全に自然に帰っていますね。草木に覆われてしまい車庫の跡かともなし。
この辺、ヒグマ出没地域で、あちこちに「クマ出没!注意」の看板あり。
もちもん、ホイッスルを吹きリュックにはクマ除け鈴を付けていて、鈴を鳴らしています。

道路を挟んで向かい側にある旧国鉄の奥行臼駅へと行ってみましょう。
90年ほど前の、木造の駅舎が今も健在です。

開業は1933年(昭和8年)のこと。標津線では最も古い駅でした。駅舎は昭和初期の建築様式で廃止された標津線の駅の中では唯一現存するものだそうです。

廃止される前に、ここの鉄道に乗って見たかったです。原野の中を走る蒸気機関車を想像するだけで楽しそう!

こちらは正面入口です。これからも保存してもらいたい!と願うばかりです。

少し離れた場所にある奥行臼駅逓所。当時の建物を復元していますね。

北海道には、1000か所以上の駅逓がありました。駅逓とは、現在の鉄道駅+道の駅+郵便局+旅館+馬屋+食事提供所などで、旅人と交通手段の馬をもてなしていた建築物です。100年後の今、道内で現存しているのはわずか10か所もありません。

ヒグマ出没中で、内部公開は閉鎖していて中止。たまたま、窓を開けて掃除中だったので、外から窓越しに撮影させてもらいました。奥は資料展示室のようです。手前は応接部屋かな?

奥と手前の部屋は客室のようです。電気のない時代だったから、ランプの灯りを灯していたのでしょうね。

1910年(明治43年)に設置され、取扱人の山崎藤次郎氏の自宅を増築して1930年まで使用していたとのこと。廃止された理由は、そのころには鉄道が敷かれ馬を交通手段として利用しなくなったからでしょう。駅逓所の近くに村営軌道の停留所と旧国鉄駅が駅が出来て、活発に使用されたからですね。
次回は、風蓮湖の秘境である行き止まりの集落、「走古丹(ハシリコタン)」へと向かいます。


では、また!
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