11月9日水曜日、天気は晴れで気温も最高で14℃まで上昇して暖かい1日になっています。先日函館では初雪が降ったけど、それ以降雪の降る気配は全くなく温暖な日が続いています。
昨夜は、皆既月食で久しぶりの夜空をしばらく見ていました。科学が発達してなかった昔の人たちは、皆既月食や日食などは、悪いことが起こる予兆では?とパニックになったのではないでしょうか?現代の我々はその理由を理解していますが。

さて、ここは横浜町の吹越駅。前日は横浜町の道の駅で車中泊しましたが、横浜町の駅は「陸奥横浜駅」。さすがに神奈川県の、人口370万人の日本1の大都市(東京は市ではないので)の横浜市の「横浜駅」に対して、地域名の陸奥を先に付けて区別していますね。
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もちろん無人駅で、この路線はJR東日本の大湊線。単線で非電化のディーゼル車が1日に数本走るローカル線です。駅には「下北半島にようこそ!日本1の菜の花畑の町 横浜町」の看板が。
もっとも、菜の花が見れるのは5月下旬頃で、10月は一つも見れませんね。
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吹越駅までは陸奥湾沿いに走る国道279号線で南下してきましたが、駅からは左折して県道24号線で東へ。10㎞ほど走り六ケ所村の大石総合運動公園へ。ここには郷土資料館があるのです。が、到着した時間は午前8時前。9時開館だから開いているわけはない。でも、横の広場には公園があって、面白いものが展示されています。
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それは、縄文時代からの竪穴式住居が再現されています。
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これは、縄文時代早期最大の復元住居で、約7000年前のもの。紀元前5000年頃の住居です。
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北海道南部や北東北は縄文時代の遺跡が多数出土していて、ユネスコの世界遺産にもなっています。
縄文時代の遺跡群は、農耕社会以前の人々の生活と精神文化を示す稀有な文化遺産として、世界から高く評価されたのでしょうね。
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こちらは、平安時代の竪穴式住居。縄文時代から6000年近く経過しているのに、縄文人たちと同じような家に住んでいたんですね。平安時代の農民は貧しく虐げられていたから、当時でも地面を掘って床を低くして茅葺屋根の家で生活していたのです。
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国道338号線を南下して三沢市へ。青森県1の面積を持つ小川原湖近くの道の駅「みさわ」の斗南藩(となみはん)記念観光村の先人記念館を見学します。入館料は大人110円と安い。
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会津藩は戊辰戦争(1868~1869)で新政府軍に敗北し、逆賊として領土を没収されます。福島県南西部の米どころ会津地方から、再興が許された旧森岡藩領の3万石の地の下北へ、約17300人が移住をし余儀なくされました。海路は新潟、仙台などから船で1500人が現在のむつ市大湊へ上陸。左の絵はその当時の様子を描いたもの。遠くの雪山は釜臥山(878.2m)。
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飢えと寒さで旅の途中で倒れた者多かったと云います。
なぜ、斗南藩という名にしたのか?それは「北斗以南 皆帝州」から採られたと云われていて、北の辺境に流されてきたが、ここも天皇の国に変わりはなく、ともに北斗七星を仰ぐ民であるとという思いと、いつかは故郷の南へ帰りたい、との願いが込められて名付けられたと云います。
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その斗南藩の幹部の一人廣澤安任(ひろさわ やすとう)は、ここ三沢市谷地頭に日本初の民間洋式牧場を開き、荒地の開拓に専念し斗南藩士たちに生きる希望を与えた人物でした。
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当時使用された農機具が展示されています。これらは馬に引かせていましたが、ここは昔から名馬の産地で農耕馬として大いに役立ったのです。
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明治政府の役人大久保利通は天皇の東北巡行の折に、廣澤の住居をわざわざ訪ねてきて政府への入閣を勧めたほどで、廣澤は第一級の人物であったのです。
その時、廣澤は「野にあって国家に尽くす」と拒否しています。
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彼は、一介の牧夫といして北辺の開拓に尽くし一生を捧げ、1891年インフルエンザで61歳の生涯を閉じたのでした。
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ここには、三沢市の開拓に尽力した人たちを取り上げていて、廣澤以外にも何人もいたのです。
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青森県と云えば、江戸時代は津軽は弘前に城下がある津軽藩が知られていますが、八戸を中心とするエリアは盛岡を城下とする南部藩。七戸には小さいながも城がある七戸藩が南部藩の分家としてありました。南部藩も戊辰戦争で新政府軍と戦い敗北した藩。青森県東部の下北と八戸地方は没収されたのです。斗南藩はその一部を与えられて細々と生活するしかなかったのです。
まさに、明治の時代は東北は虐げられ卑下されたのです。「白河以北一山百文」などと馬鹿にされて時代を生きて来たのでした。
白河は御存じですね。東北への関所があった地で、白河越えは東北へ入ること。今年夏の高校野球で、史上初の東北の高校が優勝。白河越えが実現しました。その相手は山口県の高校。まさに長州に勝利した!と。東北人の反骨精神がやっと報われたのです。
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先人の記念館とは、このような人たちを紹介する資料館だったのです。
今でも下北には会津を思う人が大勢います。大間町には個人で「斗南藩資料館」を開いた方もいます。
まさに、北辺を生き延びた会津の人々の魂を垣間見た思いがしました。

では、また!
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