11月28日月曜日、天気は曇りで気温は最高で10℃だが風がなく昨日よりは暖かい。
昨夜は、サッカーワールドカップ日本チームが1-2で敗退して、それをテレビで見て応援していたがショックで落ち込んでしまいました。まるでドイツ戦で戦った気持ちが何処かへ飛んで行って、逆にコスタリカが日本みたいに善戦しワンチャンスで決勝点を挙げて勝利。
サッカーは、というかスポーツはやって見なきゃ分からないもの。次のスペイン戦は果たしてどうなるものか?次回もテレビで応援しますが、もっともテレビと云っても地上波ではなくABEMAです。
地上波のうるさい解説者(日本が5-0で絶対勝つ、と言った絶叫型のM氏)よりは、現役プレーヤーの本田選手の解説の方がよっぽど良くて、ネットテレビのABEMAをずーっと見ています。
さて、猫の島である田代島での散策を終えて、鮎川港へ戻り30㎞ほど北上して、その夜は旧雄勝町の道の駅で車中泊。新設された道の駅で、場所的にもとても閑静な上に駐車場には一台もなく、耳栓など要らず。海のそばにも関わらず波の音もなく、清潔なトイレも近くだしフリーWi-Fiが効いていて三ツ星クラスの道の駅でした。
翌朝は6時起床、朝のルーティンであるトイレ・洗顔・体操ストレッチ・朝食・歯磨きを終えて7時半に出発して、道の駅から7㎞離れた北上川の下流域にある旧大川小学校へ。

毎年春と秋に訪れていますが、最初に訪れた時は2013年4月。東日本大震災から2年後の時です。
訪れるごとに周辺は変化していき、2022年では公園化されて広い駐車場に津波伝承館が新設されていましたが、津波の被害を受けた校舎は9年後でも何一つ変わらずに残っています。

河口から5㎞の距離にもかかわらず地震発生から50分後、津波は北上川に沿って上流へ押し寄せて学校を襲いました。校庭にいた児童78名のうち74名、教職員11名のうち10名、学校に避難していた地域住民や保護者、スクールバスの運転手も亡くなったのです。

学校管理下にある子供が犠牲になった事故・事件としては、第二次世界大戦後は最悪の惨事だそうです。

グランドの裏山は、子供たちがシイタケ栽培をしていたり馴染みのある山。決して山に登るのに危険ということはなかったのです。それなのに、地震直後に裏山へ逃れようとした児童に対し「戻れ!」と怒った先生がいて、連れ戻されたそうです。

杉林の森が広がる裏山、子供たちにとっては普段は遊び場だった地。先生方には危険と映ったのでしょうか、避難場所を200m離れた北上川に架かる国道398号線の新北上大橋のたもとへ行ったのです。

震災前の写真がありました。中央のは学校の校舎と裏に広がる集落。多くの住民が生活していたのです。

津波伝承館は、朝早かったので開館しておらず、見学できなかったのが残念。

学校から5㎞離れた汽水湖でカキの養殖が盛んな長面浦(ながつらうら)へ行く途中、刈り取られた田んぼに、シベリアからの渡ってきた白鳥が何羽も発見。

きっと、刈り取った後に残されていた米や虫を食べているのかな?これと同じ光景をこの後に津軽地方でも見かけました。寒くなって来た証拠ですね。

長面浦へ。北上川の上流からもたらされた土砂により砂州で囲まれた海が湖へなった場所です。形成理由から潟湖(ラグーン)と呼ばれる湖。大きいものでは、かつて面積で琵琶湖に次ぐ日本第2位だった旧八郎潟や3位のサロマ湖、現在2位の霞ケ浦など。

北上川および太平洋とつながっているから、当然ここも津波の被害を大きく受けています。周囲には漁業者が住み、人家がたくさんあったのですが。

現在はほとんど人は住んでおらず、工事関係者のみが仕事している現場です。橋の建設が終わって渡れますが、半島を一周する道路は工事中。

ということで、次回はここ長面浦で散策して、思わぬ歴史を発見!古くからの歴史があったのです。
それを紹介していきます。
サッカーワールドカップ、対スペインですがかなりの強国で勝てる見込みは少ないけど、何が起こるか分からないのも魅力のサッカー。次回もテレビの前で応援します。
今月から来月にかけて寝不足が続きますが、そこは年金生活者の特権である自由な時間を持てる者として、昼寝の時間があること。毎日遅くまで見ています。優勝は何処か?ブラジルか?はたまた2回連続してのフランスか?
では、また!
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昨夜は、サッカーワールドカップ日本チームが1-2で敗退して、それをテレビで見て応援していたがショックで落ち込んでしまいました。まるでドイツ戦で戦った気持ちが何処かへ飛んで行って、逆にコスタリカが日本みたいに善戦しワンチャンスで決勝点を挙げて勝利。
サッカーは、というかスポーツはやって見なきゃ分からないもの。次のスペイン戦は果たしてどうなるものか?次回もテレビで応援しますが、もっともテレビと云っても地上波ではなくABEMAです。
地上波のうるさい解説者(日本が5-0で絶対勝つ、と言った絶叫型のM氏)よりは、現役プレーヤーの本田選手の解説の方がよっぽど良くて、ネットテレビのABEMAをずーっと見ています。
さて、猫の島である田代島での散策を終えて、鮎川港へ戻り30㎞ほど北上して、その夜は旧雄勝町の道の駅で車中泊。新設された道の駅で、場所的にもとても閑静な上に駐車場には一台もなく、耳栓など要らず。海のそばにも関わらず波の音もなく、清潔なトイレも近くだしフリーWi-Fiが効いていて三ツ星クラスの道の駅でした。
翌朝は6時起床、朝のルーティンであるトイレ・洗顔・体操ストレッチ・朝食・歯磨きを終えて7時半に出発して、道の駅から7㎞離れた北上川の下流域にある旧大川小学校へ。

毎年春と秋に訪れていますが、最初に訪れた時は2013年4月。東日本大震災から2年後の時です。
訪れるごとに周辺は変化していき、2022年では公園化されて広い駐車場に津波伝承館が新設されていましたが、津波の被害を受けた校舎は9年後でも何一つ変わらずに残っています。

河口から5㎞の距離にもかかわらず地震発生から50分後、津波は北上川に沿って上流へ押し寄せて学校を襲いました。校庭にいた児童78名のうち74名、教職員11名のうち10名、学校に避難していた地域住民や保護者、スクールバスの運転手も亡くなったのです。

学校管理下にある子供が犠牲になった事故・事件としては、第二次世界大戦後は最悪の惨事だそうです。

グランドの裏山は、子供たちがシイタケ栽培をしていたり馴染みのある山。決して山に登るのに危険ということはなかったのです。それなのに、地震直後に裏山へ逃れようとした児童に対し「戻れ!」と怒った先生がいて、連れ戻されたそうです。

杉林の森が広がる裏山、子供たちにとっては普段は遊び場だった地。先生方には危険と映ったのでしょうか、避難場所を200m離れた北上川に架かる国道398号線の新北上大橋のたもとへ行ったのです。

震災前の写真がありました。中央のは学校の校舎と裏に広がる集落。多くの住民が生活していたのです。

津波伝承館は、朝早かったので開館しておらず、見学できなかったのが残念。

学校から5㎞離れた汽水湖でカキの養殖が盛んな長面浦(ながつらうら)へ行く途中、刈り取られた田んぼに、シベリアからの渡ってきた白鳥が何羽も発見。

きっと、刈り取った後に残されていた米や虫を食べているのかな?これと同じ光景をこの後に津軽地方でも見かけました。寒くなって来た証拠ですね。

長面浦へ。北上川の上流からもたらされた土砂により砂州で囲まれた海が湖へなった場所です。形成理由から潟湖(ラグーン)と呼ばれる湖。大きいものでは、かつて面積で琵琶湖に次ぐ日本第2位だった旧八郎潟や3位のサロマ湖、現在2位の霞ケ浦など。

北上川および太平洋とつながっているから、当然ここも津波の被害を大きく受けています。周囲には漁業者が住み、人家がたくさんあったのですが。

現在はほとんど人は住んでおらず、工事関係者のみが仕事している現場です。橋の建設が終わって渡れますが、半島を一周する道路は工事中。

ということで、次回はここ長面浦で散策して、思わぬ歴史を発見!古くからの歴史があったのです。
それを紹介していきます。
サッカーワールドカップ、対スペインですがかなりの強国で勝てる見込みは少ないけど、何が起こるか分からないのも魅力のサッカー。次回もテレビの前で応援します。
今月から来月にかけて寝不足が続きますが、そこは年金生活者の特権である自由な時間を持てる者として、昼寝の時間があること。毎日遅くまで見ています。優勝は何処か?ブラジルか?はたまた2回連続してのフランスか?
では、また!
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