11月29日火曜日、天気は午前中は晴れ時々曇りでしたが、午後からは雨。気温は昨日よりは10℃近くも高い18℃と暖かい日でした。ニュースを見たら全国的に温暖で、北陸では25℃と夏日を記録するほどの暑さだったとか。半袖姿の観光客もいたとかで、冬の季節にはほど遠い日だったようです。
でも、明日からはグッと冷え込み、今週は雪のマークが連日出ていて、それに明後日からは12月。いよいよ2022年も師走に入り、今年も終わりに近づいてきています。

さて、ここは宮城県石巻市の北上川下流部が川が運んできた土砂によって形成された海跡湖長面浦(ながつらうら)の湖畔で、地名は尾崎地区。海跡湖はラグーン(潟湖)と同じです。
ここで、地理用語の説明ですが湖の形成としていくつかありますが、例えばカルデラ湖として何度も当blogに登場しているのは東北では十和田湖や田沢湖、北海道では屈斜路湖、摩周湖、洞爺湖、支笏湖などがありましたね。
他には堰止湖。栃木県の中禅寺湖や北海道の大沼、山梨県の富士五湖などあります。
断層湖(構造湖)としては琵琶湖、猪苗代湖、諏訪湖、青木湖などいくつかあります。

海跡湖だから海とつながっている湖。それは湖の水分は海水と淡水の混じり合った汽水湖なのです。多くはそれを活用して水産物の養殖を行い漁業が盛んな地となっていて、ここでもカキの養殖が盛んでした。2011年3月1日の東日本大震災より前のことでしたが。
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ここ尾崎地区には縄文時代から中世までの多くの遺跡があって、その一つに海蔵庵板碑群という南北朝時代から室町時代にかけての石碑がたくさんあるのです。
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海蔵精舎と書かれた門が左側にあって、右側には曹洞宗
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自然石に近い板石に文字を刻んだ「板碑」が159基あるといいます。
ここも津波の被害を受けたと思いますが、運よくというかよく残ってくれた、と胸をなでおろします。
旧大川小学校方面から東へ走り、途中で渡って来た白鳥を見て、奥に見える青色の長面浦に架かる橋を渡ってここへ来たのです。
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海蔵庵というお寺の境内に残されている板碑群。こちらは建物で保護された石碑です。何が書かれているのか?よく見ると、偉そうなお坊さん、富士山のような山が分かります。
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最古の板碑は1278年のもので、鎌倉時代の後半で8代執権の北条時宗の時代です。ちょうど歴史的にはフビライハン率いるモンゴル軍が攻めてきた元寇があった頃で、1274年文永の役、1281年弘安の役の間ですね。
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奥に見えるお寺が海蔵庵ですね。津波の被害を受けなかったのでしょうか?この辺りは、水面の上1mほどの場所だし、地図を見ると追波湾の一部を成していますが、震災前と後では地形もかなり変化しているから、自分が見ている地図とは違うのかもしれません。
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住職さんはいないようで、維持管理はどなたが行っているのだろう?周辺には人家は見当たらず漁師さんの小屋がいつくかあるだけ。それと工事関係者のプレハブの建物や車が目立ちます。
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よりとも様」と呼ばれる弘安10年(1287年)が最古だとか。鎌倉幕府を開いた征夷大将軍の源頼朝は1199年に亡くなっているから、死後88年も経過しているから、多分鎌倉幕府から派遣された高貴な役人のものでしょう。「よりとも様」の名は、幕府の権威を押し付けた板碑だと思います。
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湯殿山、岩木山はそれぞれ聖なる山々で、昔の住民が参詣してきた証でしょう。東北ではよくある石碑です。
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中世の時代は、ここ尾崎地区は交通・軍事の要衝の地であった、と書かれていますね。そして、板碑群は、有力者の一族が主に追善供養を目的に造立したものだと。35日忌供養を重視した石巻地方の特徴でもあると。
つまり、亡くなった支配者を供養してたくさんの板碑があるということでしょう。
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尾崎地区で1時間ほど散策して歴史を学び、その後は北上。ここは石巻市と南三陸町の境界付近の山中にある追分温泉の旅館です。県道64号線の山の中を走る峠付近にありますが、しなびた温泉宿というよりは結構立派な建物でした。
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ということで、次回は岩手県へと移動して地図上で発見した地名が何だろう?と思わせた地へ行きます。
地図上の名は、日本200名山の一つである栗駒山(1626.5m)の東麓にある一関市の「骨寺村荘園遺跡」。荘園は日本史では古代・中世によく出てくる言葉で、いわば土地支配の一形態で、平安時代などは貴族による多くの農民を抱える大土地所有地ですが、骨寺村とは何か?
次回は、それを探りに出かけることにします。

では、また!

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