9月11日月曜日、天気は雲りで気温は28℃、湿度は80%以上あってかなり蒸し暑い日になっていて、エアコンなしでは過ごしにくい日です。
昨夜は、ラグビー日本代表がワールドカップ初戦で、初出場のチリと戦い6トライを上げて快勝しましたね。試合は最初はハラハラしながら見てましたが、次第に安心して応援し、最後は大拍手で終了。来週はいよいよ本命のイングランド。勝利してベスト8へ進出してもらいたいです。
道内では、各地にヒグマの出没があり被害が出ていますが、道庁や自治体が駆除すると本州から抗議の電話が殺到するとか。「撃たれたヒグマが可哀そう」とか「眠らせて山奥へ連れていけ」とか、実情を分からないとんでもない嫌がらせの電話やメールが来ているそうです。きっと大都会で野生動物と会うこともないマンションの部屋でのうのうと暮らしている暇人だと思うのですが、ヒグマの出没地域の人たちは恐怖に怯えて生活している実態をご存知ないのでしょう。ヒグマは駆除されるために自衛隊さんたちの力を借りてでも必要で、高齢化したハンターたちに任せっきりはダメです。増え続けるヒグマやエゾシカは農作物を荒らしていて、まずは絶対数を減らさなくてはいけないのです。
さて、洞爺湖町から隣町の伊達市有珠へ。江戸時代に幕府が建てた蝦夷地に出来た3つのお寺の一つである善光寺へ。

朝早かったので、いつもは開いている左の本堂や右の部屋は閉まったまま。今回は外側から見るだけ。

晴れていて開いていれば、部屋に上がり裏側の庭を見るのが楽しみだけど、この日は残念。アジサイが咲いている庭がとても素敵なのです。

詳しくはこちらを拡大してご覧ください。
簡単に説明すると、江戸時代後半にロシアの南下で蝦夷地を心配し、幕府が仏教を利用して支配下にしたい思いで、有珠と様似、厚岸に3つの官寺を建てたのです。それと蝦夷地で亡くなった武士たちのお墓と供養のためもあるし、アイヌ民族へ仏教を広めるためも。

三本杉記念があったけど。

このことか?似たような杉の木々がいくつもあって分からず。特別に大きな杉の木ではないみたい。

境内には織部燈篭の碑も。

キリスト教禁止の江戸時代、本州からキリシタンが逃げ延びてきました。
蝦夷地には南部に松前藩がありました。江戸時代初めのころに本州から数多くのキリシタンが海を渡って来て、知内川の上流、大千軒岳麓の金が発見された地で働いていましたが、当初は黙認していましたが、3代家光の時代、特に島原の乱以降取り締まりが厳しくなり殺される人もいたり逃げたりした人もいたのです。
これは子イエスを抱いたマリアの像ですね。

表玄関へ行くます。車は境内に停められます。

国指定された史跡になっているんですね。

善光寺から少し行った場所へ。数台停めれる広さがある地へ車を停めます。一部見えない部分もあるけど、織部燈篭の説明がありますね。

善光寺から歩いて5分もかからない地にある善光寺地蔵堂。

潜伏キリシタンの燈篭で、江戸時代の前の安土桃山時代の茶人であった古田織部が創建した作なので、織部燈篭と云われているようです。

戸が開いていたので、靴を脱いで地蔵堂内部へ。

真っ黒なお地蔵さんが。

そのとなりには、伊達市有珠地区コミュニティーセンター白鳥館があります。前庭にはバチラー八重子の歌碑があります。

廃校となった有珠小学校跡地に建てられた図書館を含む公的施設です。

石碑のバチラー八重子さんについては次回で詳しくお伝えします。
マンホールを見たら伊達市に合併される前で、白鳥と海水浴場が描かれていました。

アイヌの少女だった八重子さんは、明治の初めイギリス出身のバチラー夫妻と出会いキリスト教に目覚めていくのです。
次回は、有珠にあるバチラーが建てた教会堂を訪れます。
では、また!
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昨夜は、ラグビー日本代表がワールドカップ初戦で、初出場のチリと戦い6トライを上げて快勝しましたね。試合は最初はハラハラしながら見てましたが、次第に安心して応援し、最後は大拍手で終了。来週はいよいよ本命のイングランド。勝利してベスト8へ進出してもらいたいです。
道内では、各地にヒグマの出没があり被害が出ていますが、道庁や自治体が駆除すると本州から抗議の電話が殺到するとか。「撃たれたヒグマが可哀そう」とか「眠らせて山奥へ連れていけ」とか、実情を分からないとんでもない嫌がらせの電話やメールが来ているそうです。きっと大都会で野生動物と会うこともないマンションの部屋でのうのうと暮らしている暇人だと思うのですが、ヒグマの出没地域の人たちは恐怖に怯えて生活している実態をご存知ないのでしょう。ヒグマは駆除されるために自衛隊さんたちの力を借りてでも必要で、高齢化したハンターたちに任せっきりはダメです。増え続けるヒグマやエゾシカは農作物を荒らしていて、まずは絶対数を減らさなくてはいけないのです。
さて、洞爺湖町から隣町の伊達市有珠へ。江戸時代に幕府が建てた蝦夷地に出来た3つのお寺の一つである善光寺へ。

朝早かったので、いつもは開いている左の本堂や右の部屋は閉まったまま。今回は外側から見るだけ。

晴れていて開いていれば、部屋に上がり裏側の庭を見るのが楽しみだけど、この日は残念。アジサイが咲いている庭がとても素敵なのです。

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簡単に説明すると、江戸時代後半にロシアの南下で蝦夷地を心配し、幕府が仏教を利用して支配下にしたい思いで、有珠と様似、厚岸に3つの官寺を建てたのです。それと蝦夷地で亡くなった武士たちのお墓と供養のためもあるし、アイヌ民族へ仏教を広めるためも。

三本杉記念があったけど。

このことか?似たような杉の木々がいくつもあって分からず。特別に大きな杉の木ではないみたい。

境内には織部燈篭の碑も。

キリスト教禁止の江戸時代、本州からキリシタンが逃げ延びてきました。
蝦夷地には南部に松前藩がありました。江戸時代初めのころに本州から数多くのキリシタンが海を渡って来て、知内川の上流、大千軒岳麓の金が発見された地で働いていましたが、当初は黙認していましたが、3代家光の時代、特に島原の乱以降取り締まりが厳しくなり殺される人もいたり逃げたりした人もいたのです。
これは子イエスを抱いたマリアの像ですね。

表玄関へ行くます。車は境内に停められます。

国指定された史跡になっているんですね。

善光寺から少し行った場所へ。数台停めれる広さがある地へ車を停めます。一部見えない部分もあるけど、織部燈篭の説明がありますね。

善光寺から歩いて5分もかからない地にある善光寺地蔵堂。

潜伏キリシタンの燈篭で、江戸時代の前の安土桃山時代の茶人であった古田織部が創建した作なので、織部燈篭と云われているようです。

戸が開いていたので、靴を脱いで地蔵堂内部へ。

真っ黒なお地蔵さんが。

そのとなりには、伊達市有珠地区コミュニティーセンター白鳥館があります。前庭にはバチラー八重子の歌碑があります。

廃校となった有珠小学校跡地に建てられた図書館を含む公的施設です。

石碑のバチラー八重子さんについては次回で詳しくお伝えします。
マンホールを見たら伊達市に合併される前で、白鳥と海水浴場が描かれていました。

アイヌの少女だった八重子さんは、明治の初めイギリス出身のバチラー夫妻と出会いキリスト教に目覚めていくのです。
次回は、有珠にあるバチラーが建てた教会堂を訪れます。
では、また!
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