12月16日土曜日、天気は午前中は曇りですが、午後からは雨の予報で明日は雪とのこと。それも一部の地域では猛吹雪になり積雪もかなりあると。温暖な冬を迎えるかな?と楽観していたが、やはり北海道の冬は厳しいのです。
さて、ここは三陸鉄道吉浜駅から歩いて20分ほどの海岸です。吉浜地区は大船渡市の中でも最北端の漁業中心の集落で、峠を越えると釜石市。昨日紹介した小石浜地区同様にホタテの養殖が盛んな地区です。

北側の半島が見えていますが、こちらは鍬台半島で鍬台峠を越えると釜石市。もっとも高い山は鍬台山で標高は518.8m。目の前は砂浜海岸が広がる吉浜湾。

震災後の2011年以降に建設された堤防の向こう側の高台に吉浜地区の集落があります。
そのさらに奥には、この地区の最高峰の荒金山(769m)の尖った山頂が見えていますね。

よく見たら、サーファーが二人サーフボートに乗っています。高い波を待っているのかな?

ここの海岸に来たのは、この巨大な石を見たかったから。重さ32トンもある重さで、クレーン車ごときでは運べない巨石がなぜここにあるのか?

自分の車はおよそ1トン、1000㎏ほどだから、その32倍の重さです。しかも海岸線からは200m以上も陸地側にあるのはなぜ?かというと。

津波石でした。昭和8年というから1933年のこと。3月3日のおひな様の日に大地震があり、津波によって運ばれてきた石なのです。三陸地区は、2011年の東日本大震災の前にも巨大あ地震がいくつもあり、明治29年、1896年の明治三陸地震、それと1933年の昭和三陸地震が知られています。
この巨石は昭和8年に打ち上げられたが、道路建設で埋められていたとか。それが2011年の震災時の津波で再発見されたのだから、自然の脅威はどれだけ恐ろしいものかを知ることが出来ます。

内陸部へ歩いて行くと、少し高台に新山神社鳥居跡地がありました。手前の基礎がその鳥居の根元だったのでしょう。津波で破壊された基礎です。

そして震災後の再建された鳥居と本殿。道路はその前にあって、標高の高いところは僅かの差で助かったのですが、低いところではことごとく破壊されてしまったのでした。

この石碑を読んだら、鳥居が破壊されたのは昭和8年の津波で、石碑が建てられたのも平成20年(2008年)だから東日本大震災の3年前のことです。今回の震災ではここも津波が押し寄せたけど、高台にある神社は辛うじて助かったのでした。

「潮かおる 北の浜辺の砂山の かの浜薔薇(ハマナス)よ 今年も咲けるや」
これって、函館の大森浜を望む啄木小公園にある歌碑ですよ。なんで、ここにあるのか?もしかしたら啄木はここに来ていたのか?

調べてみたら、同じ歌碑は青森県野辺地町愛宕公園にもあるとか。啄木の父がこの地のお寺の住職として在職していたからで、大船渡市吉浜についてはまったくなく、なぜここにあるのか?は不明です。
もっとも、啄木は岩手県出身だから来ていたかも知れませんが・・・。
吉浜からはさらに北へと向かいます。次回は、釜石市からお伝えいたします。
では、また次回にお会いしましょう!
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さて、ここは三陸鉄道吉浜駅から歩いて20分ほどの海岸です。吉浜地区は大船渡市の中でも最北端の漁業中心の集落で、峠を越えると釜石市。昨日紹介した小石浜地区同様にホタテの養殖が盛んな地区です。

北側の半島が見えていますが、こちらは鍬台半島で鍬台峠を越えると釜石市。もっとも高い山は鍬台山で標高は518.8m。目の前は砂浜海岸が広がる吉浜湾。

震災後の2011年以降に建設された堤防の向こう側の高台に吉浜地区の集落があります。
そのさらに奥には、この地区の最高峰の荒金山(769m)の尖った山頂が見えていますね。

よく見たら、サーファーが二人サーフボートに乗っています。高い波を待っているのかな?

ここの海岸に来たのは、この巨大な石を見たかったから。重さ32トンもある重さで、クレーン車ごときでは運べない巨石がなぜここにあるのか?

自分の車はおよそ1トン、1000㎏ほどだから、その32倍の重さです。しかも海岸線からは200m以上も陸地側にあるのはなぜ?かというと。

津波石でした。昭和8年というから1933年のこと。3月3日のおひな様の日に大地震があり、津波によって運ばれてきた石なのです。三陸地区は、2011年の東日本大震災の前にも巨大あ地震がいくつもあり、明治29年、1896年の明治三陸地震、それと1933年の昭和三陸地震が知られています。
この巨石は昭和8年に打ち上げられたが、道路建設で埋められていたとか。それが2011年の震災時の津波で再発見されたのだから、自然の脅威はどれだけ恐ろしいものかを知ることが出来ます。

内陸部へ歩いて行くと、少し高台に新山神社鳥居跡地がありました。手前の基礎がその鳥居の根元だったのでしょう。津波で破壊された基礎です。

そして震災後の再建された鳥居と本殿。道路はその前にあって、標高の高いところは僅かの差で助かったのですが、低いところではことごとく破壊されてしまったのでした。

この石碑を読んだら、鳥居が破壊されたのは昭和8年の津波で、石碑が建てられたのも平成20年(2008年)だから東日本大震災の3年前のことです。今回の震災ではここも津波が押し寄せたけど、高台にある神社は辛うじて助かったのでした。

「潮かおる 北の浜辺の砂山の かの浜薔薇(ハマナス)よ 今年も咲けるや」
これって、函館の大森浜を望む啄木小公園にある歌碑ですよ。なんで、ここにあるのか?もしかしたら啄木はここに来ていたのか?

調べてみたら、同じ歌碑は青森県野辺地町愛宕公園にもあるとか。啄木の父がこの地のお寺の住職として在職していたからで、大船渡市吉浜についてはまったくなく、なぜここにあるのか?は不明です。
もっとも、啄木は岩手県出身だから来ていたかも知れませんが・・・。
吉浜からはさらに北へと向かいます。次回は、釜石市からお伝えいたします。
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