1月5日金曜日、天気は曇りで最高気温は8℃まで上昇し、この後雨が降る予報です。被災地の能登半島では激しい余震が相次いでいて、避難している人々は怖い思いをしていることでしょう。募金しか出来ない今、被災者の人々が無事に1日1日を過ごせることを祈りしかありません。
さて、10月に旅した「秋の旅」はいよいよ36回を持って最終回になりました。ここは岩手県北部の町、二戸市。内陸部で国道4号線沿いにあり、鉄道は旧東北本線の現在は「IGRいわて銀河鉄道」沿い。北隣は青森県の三戸町です。
奥はガイドハウスで、ミニ資料館になっていて城跡へ行く前にビデオを見たりして学習できる施設。
自分もそこで資料を読んだりビデオを見たり、係りの人からいろいろ聞いたりして学びました。

続日本百名城の一つで、築城は室町時代の後期で15世紀の末。江戸時代前半の1636年に廃城しているから、およそ140年間ほど続いた城です。面積は36万平方メートルで、東京ドーム10個分の広さ。

現在工事中で、あちこちで作業していて邪魔にならないように歩いて見学。最初は九戸氏という人物の城跡で、九戸氏は南部氏の系列の人。
歴史を紐解くと、鎌倉時代に生まれた奥州南部氏は15世紀末まで岩手県北部から青森県東部に至る日本最大の郡である「糠部(ぬかのぶ)郡」を支配していました。宗家は南部殿(三戸氏、青森県三戸町に三戸城があります)で、一戸から九戸による一族支配を形成していたのです。
戦国時代末期の1591年、南部家の後継者問題で歴史上有名な事件が起きます。九戸氏11代目の九戸政実(くのへ まさざね)が天下人豊臣秀吉に反旗を引き起こしたのです。これを「九戸政実の乱」、または「九戸一揆、九戸の乱」とも云われています。

豊臣秀吉は豊臣秀次を総大将に、徳川家康、伊達政宗、石田三成、上杉景勝、蒲生氏郷、浅野長政、井伊直政、大谷吉継ら6.5万人の大軍で九戸城を完全包囲して威圧。九戸城籠城軍は5千人。
結果完敗し、城は宗家南部氏の福岡城へと変わり、江戸時代に入ると南部氏は盛岡城へ移り、1636年に廃城となったのでした。

二戸市の市街地が見える高台にある平山城で、西に馬淵川、北にその支流の白鳥川が流れ、その2つを外堀にして河岸段丘上に築城されたのです。

東となりの町、九戸村には「街の駅まさざね館」があり、政実公の首塚があったりしますが、この地方には一戸から九戸まであり、かなりこみいった地域でもっと学習が必要だと痛感。

今は空堀となっています。そんな歴史があったとは!近くでありながら知らなかったことが恥ずかしい。次回は、もっと学習してから来てみたい!と思ったのでした。

最後に、九戸城から近くの二戸市歴史民俗資料館へ。元学校だった校舎を改築して建てられた雰囲気の資料館で、入館料は50円。

日本最古の酒の自動販売機で、国立科学博物館選定の重要化学技術史資料登録24号だそうです。
明治時代中期から後期にかけて、酒の自販機があったとは!

二戸市の酒造会社の南部美人(旧久慈酒造)が寄贈したものです。

九戸の乱の資料も展示されていて、当時の6.5万VS5000の配置図もありました。それもしても圧倒的な戦力差ですが、豊臣秀吉相手によくぞ戦ったことよ!

相馬大作という江戸時代後期の盛岡藩士がいて、ここの町では歴史上の有名人物。津軽家との確執から大作は参勤交代で江戸から弘前へ帰る途中の津軽藩主を襲撃しようと企てた事件です。


ということで、岩手県一戸町と二戸市を散策し八戸市南郷町へ戻り、この日も道の駅「なんごう」で車中泊。
翌最終日は青森県青森市浪岡のキャンプ場で雨の中車中泊し、その翌日に津軽海峡フェリーで帰宅したのでした。今回も無事故無違反で、安全に旅できたことに一安心。のんびり、ゆったりと安心・安全に旅し、無事に我が家に帰るのが一番。
次の旅は今年2024年4月にスタートします。それまでは地元函館の町を紹介していきます。
では、次回にお会いしましょう!
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さて、10月に旅した「秋の旅」はいよいよ36回を持って最終回になりました。ここは岩手県北部の町、二戸市。内陸部で国道4号線沿いにあり、鉄道は旧東北本線の現在は「IGRいわて銀河鉄道」沿い。北隣は青森県の三戸町です。
奥はガイドハウスで、ミニ資料館になっていて城跡へ行く前にビデオを見たりして学習できる施設。
自分もそこで資料を読んだりビデオを見たり、係りの人からいろいろ聞いたりして学びました。

続日本百名城の一つで、築城は室町時代の後期で15世紀の末。江戸時代前半の1636年に廃城しているから、およそ140年間ほど続いた城です。面積は36万平方メートルで、東京ドーム10個分の広さ。

現在工事中で、あちこちで作業していて邪魔にならないように歩いて見学。最初は九戸氏という人物の城跡で、九戸氏は南部氏の系列の人。
歴史を紐解くと、鎌倉時代に生まれた奥州南部氏は15世紀末まで岩手県北部から青森県東部に至る日本最大の郡である「糠部(ぬかのぶ)郡」を支配していました。宗家は南部殿(三戸氏、青森県三戸町に三戸城があります)で、一戸から九戸による一族支配を形成していたのです。
戦国時代末期の1591年、南部家の後継者問題で歴史上有名な事件が起きます。九戸氏11代目の九戸政実(くのへ まさざね)が天下人豊臣秀吉に反旗を引き起こしたのです。これを「九戸政実の乱」、または「九戸一揆、九戸の乱」とも云われています。

豊臣秀吉は豊臣秀次を総大将に、徳川家康、伊達政宗、石田三成、上杉景勝、蒲生氏郷、浅野長政、井伊直政、大谷吉継ら6.5万人の大軍で九戸城を完全包囲して威圧。九戸城籠城軍は5千人。
結果完敗し、城は宗家南部氏の福岡城へと変わり、江戸時代に入ると南部氏は盛岡城へ移り、1636年に廃城となったのでした。

二戸市の市街地が見える高台にある平山城で、西に馬淵川、北にその支流の白鳥川が流れ、その2つを外堀にして河岸段丘上に築城されたのです。

東となりの町、九戸村には「街の駅まさざね館」があり、政実公の首塚があったりしますが、この地方には一戸から九戸まであり、かなりこみいった地域でもっと学習が必要だと痛感。

今は空堀となっています。そんな歴史があったとは!近くでありながら知らなかったことが恥ずかしい。次回は、もっと学習してから来てみたい!と思ったのでした。

最後に、九戸城から近くの二戸市歴史民俗資料館へ。元学校だった校舎を改築して建てられた雰囲気の資料館で、入館料は50円。

日本最古の酒の自動販売機で、国立科学博物館選定の重要化学技術史資料登録24号だそうです。
明治時代中期から後期にかけて、酒の自販機があったとは!

二戸市の酒造会社の南部美人(旧久慈酒造)が寄贈したものです。

九戸の乱の資料も展示されていて、当時の6.5万VS5000の配置図もありました。それもしても圧倒的な戦力差ですが、豊臣秀吉相手によくぞ戦ったことよ!

相馬大作という江戸時代後期の盛岡藩士がいて、ここの町では歴史上の有名人物。津軽家との確執から大作は参勤交代で江戸から弘前へ帰る途中の津軽藩主を襲撃しようと企てた事件です。


ということで、岩手県一戸町と二戸市を散策し八戸市南郷町へ戻り、この日も道の駅「なんごう」で車中泊。
翌最終日は青森県青森市浪岡のキャンプ場で雨の中車中泊し、その翌日に津軽海峡フェリーで帰宅したのでした。今回も無事故無違反で、安全に旅できたことに一安心。のんびり、ゆったりと安心・安全に旅し、無事に我が家に帰るのが一番。
次の旅は今年2024年4月にスタートします。それまでは地元函館の町を紹介していきます。
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コメント
コメント一覧 (2)
九戸政実の本、高橋克彦氏の「天を衝く」を借りに図書館へ行ったら、借りられていてガッカリ。予約をしてきましたが、2週間後に借りられるとのことで、手に入ったらすぐにでも読みたいです。
今年も「ぼうけんの旅」よろしくお願いします。