昨日の説明で不足していた点がありましたので、付け足すことにします。
ここは現在青柳小学校ですが、実は大火後の1934年以降に建てられたものです。建築士をしていた小南(こみなみ)武一氏が手掛けて、鉄筋コンクリート造りの校舎を、「コ」の」字形に置いて防火壁とし、公邸への避難者を吹きさらしから守る工夫だったそうです。これは、3月22日北海道新聞の朝刊「卓上四季」から引用しました。
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確かに函館山をバックに「コ」の字になっている校舎です。真ん中にグランドがあって、大勢の人たちが集まれるような広場になっていますね。一夜のうちに死者は2200人近くに達し、高さ100mを超える火柱が立ち、その赤く染まる様子は津軽海峡を挟む下北半島からも目撃されたといいます。
今なら夜景がきれいだな!と思う光景も当時は町全体が空襲にでも会ったかのように焼け野原になったのですから。
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北海道新聞朝刊3月22日「道南」には当時9歳だった99歳のおじいさんのお話が聞けました。
「火事だから逃げろ!と父に促されましたが、当時は高盛町から日ノ出町の周辺の海岸は砂山には建物がないので安全だと考えたのでしょう。」
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「不思議なことに、通りで人の姿をあまり見かけませんでした。新川(亀田川)の橋が落ち、対岸から避難出来なくなっていたかもしれません。」
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「砂山で一晩過ごし、翌朝、川では死体の引き上げ作業をしていました。焼け焦げた真っ黒い死体と、溺死した白い死体が、馬車に山のように積まれていく光景は忘れられません。」
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ポケモンのマンホールがあったけど、この日には相応しくないような絵です。
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旧函館図書館へやって来ました。
これも北海道新聞朝刊2024年3月21日の記事からですが、
「木造家屋が密集していた函館では明治以降、大火は28回発生した。最大の被害となったのは1934年(昭和9年)3月21日の大火は当時の函館市の3分の1を焼き尽くした。函館市住吉町の民家から出火し、最大瞬間風速39mの強風で延焼。鎮火するまで12時間、長さ4㎞、幅1㎞の区域が燃えたのでした。」
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図書館の上にはシーサー守護神のように守ってくれています。
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スズランの花も静かに守ってくれているかのようです。
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「死亡した2166人の死因は、橋の崩壊などによる溺死917名、焼死748名など。2318名が重傷を負ったのです。」
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いまでこそ、大火に備えてグリーンベルトが設けられて、広い緑地地があるほか、小学校は鉄筋コンクリート造りへと建て替えらえれていますが、決して90年前の世界史上最大ともいえる函館大火を決して忘れてはいけないと思います。
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次回も3回目となる函館大火を特集していきたいと思います。

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