8月16日金曜日、天気は曇りで最高気温は26℃。今にも降りそうな天気で湿度があるけど、暑さはなく風もあってエアコンなしでも家の中で過ごしています。同じ道内でもオホーツク海側の紋別市では最高でも20℃で寒いくらいの天候で、北海道は広い!
関東では台風の接近で交通機関に支障が来ていてパニック状態だけど、こちらはそれほどでもないみたいです。

さて、5月の旅は青森県の太平洋に面した小川原湖へ。ラグーン(潟湖)で、砂州でつながった元海の跡。だから水深は浅い。面積では青森県では十和田湖よりも若干広く日本第11位の62.2平方キロメートル。十和田湖は秋田県とも接しているけど、面積は61平方キロメートルの日本第12位。
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地図を見ると、十和田湖よりも広いな!と思います。湖の一部は太平洋と結ばれていて海水が入り、一方で八甲田山系からのミネラル豊富な淡水が流れて来ているからここは自然豊かな環境で、まさに「獲れる宝」。シジミを始め白魚、ワカサギ、モクズガニなど、まさに豊かな湖です。
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シジミといえば西日本では島根県の中の海宍道湖でしょうが、東日本では青森県の十三湖やここ小川原湖。北海道では網走湖。いずれも汽水湖のラグーンです。
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で、この日は下北半島の陸奥湾に面した町の横浜町の道の駅で車中泊。お風呂は東通村の福祉センターの温泉で、何と70歳以上は部外者でも無料とのことで、うれしい限りでした。
横浜町の道の駅は、何度も車中泊していてぐっすりと寝れたのでした。

翌朝は下北半島を南下して付け根に当たる野辺地町へ。ここで戊辰戦争時の戦死者の墓所を見たかったのです。
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東北地方と越後の藩は幕府を支持して「奥羽越列藩同盟」を結びますが、勢いのある新政府軍になびく藩も出て来て、秋田藩はいち早く呼応して新政府軍側へ。次いで津軽藩(弘前藩)も新政府軍へ。南部藩(盛岡藩)は旧幕府軍側だから、ここで両者は対決し戦いが行われたのです。それが野辺地戦争
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戦死者のお墓がいくつかあります。当時は会津藩仙台藩が降伏していたから、大勢は新政府軍へなびいていたけど、それでも幕府への「忠義」で戦いが行われていたのでしょう。無駄な若者の血が流れたのです。
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4つのお墓に27人の津軽藩士の名前が刻まれています。その後、戊辰戦争の敗北で東北は新政府軍のやりたい放題で、明治時代は政府によって虐げられた地となったのです。
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会津藩などはひどい待遇を受けて、藩は下北半島の一部へ移動され「斗南藩」として冷遇されたことはご存じの通りです。だから150年以上たった今でも、会津若松市は長州藩の城下町だった萩市からの「姉妹都市結びましょう」を拒否してしているのです。
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野辺地町には、その津軽藩と南部藩の国境があります。野辺地戦争の地から国道4号線を少し西へ行くと藩境塚へ。
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ここに関所がありました。馬門御番所と書かれた建物に役人がいて出入りをチェックしていたのでしょうね。
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北は陸奥湾で遠くに下北半島が見えています。
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続いて平内町へ。ここは陸奥湾のホタテが有名な漁業の町。
白鳥飛来地として知られる場所へ。でも、5月も末じゃ白鳥はシベリアへと飛んで行っていて、一羽もいませんでした。
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で、この日は青森市のいつも車中泊する浪岡駅裏のキャンプ場へ。
次回はつがる市の縄文遺跡へ向かいます。そこでボランティアガイドのおじいさんと出会います。

では、また次回にお会いしましょう!

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