9月14日土曜日、天気は午前中は秋晴れで、湿度も40%台と低くとても過ごしやすかったけど、午後からは曇りへ。夜には雨が降る予報です。それでも、明日も晴れだし、明後日も晴れで3連休は秋晴れの行楽日和になりそうです。
ニュースでは本州から九州にかけて猛暑日続出とかで、9月いっぱいは真夏の気温が続きそうで、10月まで本州へ渡れそうもない暑さ。10月2日に青森へ渡りますが、その頃には少しは涼しくなっていて欲しいです。
さて、夏の旅の6回目。夕張までやって来ましたが、エゾシカたちが3匹こっちを見ていますね。
多分、角があるのはオス、ないのがメスでしょう。

ここは、とある駅。夕張鉄道とある表示板には栗山・野幌方面と書かれています。はて?どこの駅でしょうか?線路は錆付いてはいるけど、ずーっと延びていそうな・・・。ホームはしっかりした造りで、今も使われているような・・・。
でも、JR北海道の石勝線夕張支線は既に廃止されているはずですが・・・。

ここは夕張鉄道の鹿ノ谷駅でした。夕張鉄道は1975年4月に廃止されていて、夕張本町駅から函館本線の野幌駅までの全長53.2kmの私鉄でした。もっとも、夕張鉄道は49年前に廃止されましたが、JR北海道石勝線夕張支線は2019年3月31日に廃止するまでここを走っていたのです。
ちなみに終点の夕張駅からここ鹿ノ谷駅までの線路は、夕張鉄道とJR北海道が共用していました。

ここへ来るまで沼ノ沢駅、南清水沢駅、清水沢駅の3つは駅舎が解体されて更地になっていて、ここは終点の夕張駅と2つだけ残されている貴重な駅舎なのです。

先日北海道新聞に記事が掲載されていて、地元の有志の皆さんが維持管理しているとか。廃止された鉄道遺産を地元の方たちが資金不足の中で、しっかりと残していることに感謝です。
ここは冬豪雪地帯だけど、雪かきはじめ建物の維持管理は大変だろうと察します。本当にご苦労様なことです。

エゾシカたちにとっては、鉄道のない駅は自分たちの庭みたいなもの。自然な状態で草は伸び放題だから、今の時期は食べ放題。駆除するのもハンターの高齢化でなかなか出来ないらしく、今は道内に80万匹近く生存しているとか。畑を荒しまくり、木の皮を剥いで食べて樹木被害も多いとか。
見た目は可愛らしいけど、多すぎると人間にとって被害も出てくるのです。

続いて、鹿ノ谷駅の近くにある夕張鹿鳴館へ。正式名称は旧北炭鹿ノ谷倶楽部で、通称夕張鹿鳴館。

1913年(大正2年)に建設された和洋折衷の建物で、石炭を生産する会社だった北海道炭鉱汽船の迎賓施設として建てられたものです。つまり石炭産業華やかなりし頃の遺産ですね。
炭鉱が好景気に沸いていた時期のごく限られた上流階級の施設として使用され、会社幹部の会合や政財界人や取引先などの接待、さらには天皇や皇族の宿泊施設にも使われたそうです。
実際、1954年には昭和天皇ご夫妻が宿泊しているし、1958年には当時の皇太子である後の平成天皇も宿泊しています。

しかし、夕張炭鉱の閉山に伴いここは閉鎖され、その後は夕張市が管理して公開していたけど、それも建物の老朽化で数億円単位の金がかかることから夕張市は断念。
今はご覧のように、窓は閉じられ非公開となっています。昔、といっても20数年前頃かな?公開していた時に見学したことがありましたけど、ほとんど忘れてしまって覚えていません(笑)。

詳しくはこちらに書かれていますので、どうぞ拡大してご覧になってください。
石炭が大事なエネルギー資源だった時代は、大いに儲かっていたんでしょうね。幹部連中はここで飲み食いして贅沢三昧な暮らしをしていたことでしょう。
多くの炭鉱労働者は、命懸けで地下深くまで潜り、体を真っ黒にして重労働に耐えていた頃です。
そんな時代の貴重な建物ですが、この先どうなっていくのだろうか?

次回も夕張市。終点の夕張駅と駅前の潰れた巨大ホテルを見ます。
以前夕張市長だった現北海道知事の鈴木直道氏は、コンパクトシティ化を目指して夕張の中心街に人を集めようとしましたが、広い市の管内に住む特に高齢者たちは地元を離れたくなく失敗。
最盛期12万人近くいた住民は、いまは7000人を切ることに。それも高齢者が大半だから、この先は本当にどうなっていくのだろうか?心配は尽きないのです。
では、また次回にお会いできるのを楽しみにしております。
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ニュースでは本州から九州にかけて猛暑日続出とかで、9月いっぱいは真夏の気温が続きそうで、10月まで本州へ渡れそうもない暑さ。10月2日に青森へ渡りますが、その頃には少しは涼しくなっていて欲しいです。
さて、夏の旅の6回目。夕張までやって来ましたが、エゾシカたちが3匹こっちを見ていますね。
多分、角があるのはオス、ないのがメスでしょう。

ここは、とある駅。夕張鉄道とある表示板には栗山・野幌方面と書かれています。はて?どこの駅でしょうか?線路は錆付いてはいるけど、ずーっと延びていそうな・・・。ホームはしっかりした造りで、今も使われているような・・・。
でも、JR北海道の石勝線夕張支線は既に廃止されているはずですが・・・。

ここは夕張鉄道の鹿ノ谷駅でした。夕張鉄道は1975年4月に廃止されていて、夕張本町駅から函館本線の野幌駅までの全長53.2kmの私鉄でした。もっとも、夕張鉄道は49年前に廃止されましたが、JR北海道石勝線夕張支線は2019年3月31日に廃止するまでここを走っていたのです。
ちなみに終点の夕張駅からここ鹿ノ谷駅までの線路は、夕張鉄道とJR北海道が共用していました。

ここへ来るまで沼ノ沢駅、南清水沢駅、清水沢駅の3つは駅舎が解体されて更地になっていて、ここは終点の夕張駅と2つだけ残されている貴重な駅舎なのです。

先日北海道新聞に記事が掲載されていて、地元の有志の皆さんが維持管理しているとか。廃止された鉄道遺産を地元の方たちが資金不足の中で、しっかりと残していることに感謝です。
ここは冬豪雪地帯だけど、雪かきはじめ建物の維持管理は大変だろうと察します。本当にご苦労様なことです。

エゾシカたちにとっては、鉄道のない駅は自分たちの庭みたいなもの。自然な状態で草は伸び放題だから、今の時期は食べ放題。駆除するのもハンターの高齢化でなかなか出来ないらしく、今は道内に80万匹近く生存しているとか。畑を荒しまくり、木の皮を剥いで食べて樹木被害も多いとか。
見た目は可愛らしいけど、多すぎると人間にとって被害も出てくるのです。

続いて、鹿ノ谷駅の近くにある夕張鹿鳴館へ。正式名称は旧北炭鹿ノ谷倶楽部で、通称夕張鹿鳴館。

1913年(大正2年)に建設された和洋折衷の建物で、石炭を生産する会社だった北海道炭鉱汽船の迎賓施設として建てられたものです。つまり石炭産業華やかなりし頃の遺産ですね。
炭鉱が好景気に沸いていた時期のごく限られた上流階級の施設として使用され、会社幹部の会合や政財界人や取引先などの接待、さらには天皇や皇族の宿泊施設にも使われたそうです。
実際、1954年には昭和天皇ご夫妻が宿泊しているし、1958年には当時の皇太子である後の平成天皇も宿泊しています。

しかし、夕張炭鉱の閉山に伴いここは閉鎖され、その後は夕張市が管理して公開していたけど、それも建物の老朽化で数億円単位の金がかかることから夕張市は断念。
今はご覧のように、窓は閉じられ非公開となっています。昔、といっても20数年前頃かな?公開していた時に見学したことがありましたけど、ほとんど忘れてしまって覚えていません(笑)。

詳しくはこちらに書かれていますので、どうぞ拡大してご覧になってください。
石炭が大事なエネルギー資源だった時代は、大いに儲かっていたんでしょうね。幹部連中はここで飲み食いして贅沢三昧な暮らしをしていたことでしょう。
多くの炭鉱労働者は、命懸けで地下深くまで潜り、体を真っ黒にして重労働に耐えていた頃です。
そんな時代の貴重な建物ですが、この先どうなっていくのだろうか?

次回も夕張市。終点の夕張駅と駅前の潰れた巨大ホテルを見ます。
以前夕張市長だった現北海道知事の鈴木直道氏は、コンパクトシティ化を目指して夕張の中心街に人を集めようとしましたが、広い市の管内に住む特に高齢者たちは地元を離れたくなく失敗。
最盛期12万人近くいた住民は、いまは7000人を切ることに。それも高齢者が大半だから、この先は本当にどうなっていくのだろうか?心配は尽きないのです。
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