2月11日火曜日、天気は晴れ時々雪ですが、最低気温はマイナス6℃どかなり冷え込んだ朝を迎えていて、先週積もった雪は融ける気配はありません。2月の間は、しばらくここままで行くのかな?
さて、秋の旅も今回と次回で終わりとなります。2024年10月の秋の旅は24日間という自分にとっては長い旅でしたので、カメラに収めた写真も多くて今回で64回目。次回65回目で終了となりました。
ここは津軽を代表する小説家の太宰治の生地である五所川原市金木町にある丹生川上(にうかわかみ)神社。調べたら、本山は奈良県にあるようです。
ここでも、鳥居に鬼さんがいるみたい。

鬼よりも力士なんだけど、真っ赤な顔をしているから鬼に見えたのです。何よりも角がないですからね。それにしても怖い顔をしています。

後ろから見ると、さすがにまわしはしていますね。お尻も真っ赤か。

森の中に、小さな神社の本殿がポツリ。誰がお参りに来るのでしょうか?訪れる参拝者もなく、鳥居の鬼さん(力士?)も寂し気でした。

続いて、津軽鉄道嘉瀬駅の近くへ。津軽鉄道は三セクではなく完全に私鉄で、五所川原市に本社が所在し株主は地元の農協や沿線住民と、まさに地元密着の足となっている愛すべき鉄道会社なのです。
駅近くの広場にあった「天明大飢饉餓死者之供養塔」なるものを見つけました。
天明の大飢饉とは日本史の教科書にも載っていますが、時代は18世紀後半の1782年~87年の間で、冷害や浅間山噴火(1783年)などによる凶作が続き、日本各地で大飢饉に見舞われました。特に東北地方の被害は甚大で、津軽藩での餓死者は十数万人にも及んでいます。
飢饉により荒廃した村々では百姓一揆が起こり、都市部では打ちこわしが多発した、と書かれています。

「いごぐ穴跡」とは何か?
餓死した祖先を葬った穴を「いごぐ穴」と言うんですね。ここ嘉瀬地区だけでも餓死者は100人以上もいた、とあるように津軽地方全体で10万人を超える餓死者がいたのは至極当然のことだったのでしょう。

この3つの石が置かれいる場所がそうだったのでしょう。今ではすっかり整地されているけど、江戸時代後半は何か所も穴が掘られて埋められたのでしょうね。

お地蔵さんが2体ガラスケースの中にあります。お地蔵さんを造って供養したのです。

となりには馬頭観音の社もあります。農耕馬としてお百姓さんの役に立ち、亡くなった後に「お疲れ様」として祀られたのでしょうね。

農耕馬らしいどっしりした脚。決してサラブレッドのようなスピードはないけど、畑を耕すパワーは十分に持った農村地方ではお役に立ったお馬さんなのです。

ということで、津軽鉄道嘉瀬駅付近で見つけた「天明の飢饉」の跡に、津軽の悲しく辛い歴史を感じたのでした。
次回はいよいよ最終回。
嘉瀬駅と周辺の神社巡りをして、芦野公園キャンプ場へと行きます。
では、また次回にお会いできるのを楽しみにしております。
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さて、秋の旅も今回と次回で終わりとなります。2024年10月の秋の旅は24日間という自分にとっては長い旅でしたので、カメラに収めた写真も多くて今回で64回目。次回65回目で終了となりました。
ここは津軽を代表する小説家の太宰治の生地である五所川原市金木町にある丹生川上(にうかわかみ)神社。調べたら、本山は奈良県にあるようです。
ここでも、鳥居に鬼さんがいるみたい。

鬼よりも力士なんだけど、真っ赤な顔をしているから鬼に見えたのです。何よりも角がないですからね。それにしても怖い顔をしています。

後ろから見ると、さすがにまわしはしていますね。お尻も真っ赤か。

森の中に、小さな神社の本殿がポツリ。誰がお参りに来るのでしょうか?訪れる参拝者もなく、鳥居の鬼さん(力士?)も寂し気でした。

続いて、津軽鉄道嘉瀬駅の近くへ。津軽鉄道は三セクではなく完全に私鉄で、五所川原市に本社が所在し株主は地元の農協や沿線住民と、まさに地元密着の足となっている愛すべき鉄道会社なのです。
駅近くの広場にあった「天明大飢饉餓死者之供養塔」なるものを見つけました。
天明の大飢饉とは日本史の教科書にも載っていますが、時代は18世紀後半の1782年~87年の間で、冷害や浅間山噴火(1783年)などによる凶作が続き、日本各地で大飢饉に見舞われました。特に東北地方の被害は甚大で、津軽藩での餓死者は十数万人にも及んでいます。
飢饉により荒廃した村々では百姓一揆が起こり、都市部では打ちこわしが多発した、と書かれています。

「いごぐ穴跡」とは何か?
餓死した祖先を葬った穴を「いごぐ穴」と言うんですね。ここ嘉瀬地区だけでも餓死者は100人以上もいた、とあるように津軽地方全体で10万人を超える餓死者がいたのは至極当然のことだったのでしょう。

この3つの石が置かれいる場所がそうだったのでしょう。今ではすっかり整地されているけど、江戸時代後半は何か所も穴が掘られて埋められたのでしょうね。

お地蔵さんが2体ガラスケースの中にあります。お地蔵さんを造って供養したのです。

となりには馬頭観音の社もあります。農耕馬としてお百姓さんの役に立ち、亡くなった後に「お疲れ様」として祀られたのでしょうね。

農耕馬らしいどっしりした脚。決してサラブレッドのようなスピードはないけど、畑を耕すパワーは十分に持った農村地方ではお役に立ったお馬さんなのです。

ということで、津軽鉄道嘉瀬駅付近で見つけた「天明の飢饉」の跡に、津軽の悲しく辛い歴史を感じたのでした。
次回はいよいよ最終回。
嘉瀬駅と周辺の神社巡りをして、芦野公園キャンプ場へと行きます。
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