9月26日木曜日、天気は朝から雨で最高気温は25℃。昼には上がるみたいで、明日からは晴天が続くとのことで、やっぱり秋は晴れてくれなきゃ!
前回紹介した安平町の道の駅「あびらD51ステーション」へ来ています。外には客車が展示されていて、階段が付いているので内部も見れますね。手前のレールは、奥にある建物から出てくる蒸気機関車のためのものです。

この客車は、キハ183-214という名前。キはエンジン付き気動車、ハは普通車のことで、ディーゼルエンジンを搭載した車両です。上の写真をよく見ると、先頭にあるのがそうみたい。

となりには野球場があって、日曜日などはよく子供たちの少年野球が開催されています。手前には子供用の遊具があって、無料で遊べるるから保護者にとっては助かりますね。
安平町は2006年3月に早来町と追分町が合併して出来た新しい町で、道の駅はここ旧追分町にあり、町役場は旧早来町にあります。

道の駅の内部へ入ってみましょう。建物内はフリーWi-Fiが効いています。売店、お土産物屋さん、レストラン、パン屋さんが入っているし、外にはキッチンカーや別な建物では地物野菜などを販売。

この建物の奥には蒸気機関車が展示しています。文字通りの「あびらD51 ステーション」なのです。
このマンホールはかっこいい!

で、蒸気機関車と対面。D51 320号車。Dは動輪が4つあることを意味しています。例えばAは1つ、Bは2つ、Cは3つ。51は形式番号でこの形は大型の貨物輸送を目的に製造されています。
320は、そのD51の320番目に製造された番号。D51 は多数製造されたため多くの車両が存在しているのです。旧国鉄で使用されていて、製造年は1935~1945年の間で、何と!1115両も生産されたとか。1000両以上あったんですね。

記念撮影用に顔出しパネルもありますよ。

現在もある追分駅。室蘭本線と石勝線が乗り入れています。

かつて追分駅は、鉄道の町として大勢の国鉄職員がいましたが、車社会になってからは大幅に縮小されて衰退。有人駅ですが追分駅には鉄道マンはわずかしかいません。夕張駅まで行っていた夕張線も廃止されています。

夕張は炭鉱町でその石炭を燃料に蒸気機関車が走っていたんですね。
今ではレトロな汽車として観光客は喜ぶでしょうが、自分は蒸気機関車に良い印象がないのです。
子どもの時に乗った蒸気機関車はトンネルに入ると、黒い煤が車内に入るので直前に窓を閉めなければいけないのですが、それが遅れるとあっという間に黒煤が入り込み顔が黒くなってしまうからです。
1回か2回の悪い印象のせいで、蒸気機関車には良いイメージがないのです。

明治時代の頃からの歴史を紹介していますね。石炭輸送が盛んになるにつれて町が発展していった歴史です。だからエネルギー革命により石炭から石油になり、夕張の次々と炭鉱が潰れていき、さらにモータリゼーションによって鉄道から車へ変わり、追分も衰退していったのです。

でも、今は日本遺産の炭鉄港として、かつての歴史を見直しされています。

夕張、三笠、美唄、歌志内、芦別などの空知地方で採掘された石炭、小樽や室蘭の港から全国へと輸送され、室蘭では製鉄業も盛んに。そんなかつての産業を紹介しているのが炭鉄港です。

最後に、鉄道が果たした追分の役割。

次回も、ここ道の駅「あびらD51ステーション」を紹介し、夏の旅6月編を終わることにします。
秋の旅本州編は10月2日スタート。青森県へ渡りドンドン南下していきます。 2025年秋の旅は、何処へ行くのか?それは10月2日から始まるこのblogをお楽しみにしてください!
では、また次回にお会いできるのを楽しみにしております。
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前回紹介した安平町の道の駅「あびらD51ステーション」へ来ています。外には客車が展示されていて、階段が付いているので内部も見れますね。手前のレールは、奥にある建物から出てくる蒸気機関車のためのものです。

この客車は、キハ183-214という名前。キはエンジン付き気動車、ハは普通車のことで、ディーゼルエンジンを搭載した車両です。上の写真をよく見ると、先頭にあるのがそうみたい。

となりには野球場があって、日曜日などはよく子供たちの少年野球が開催されています。手前には子供用の遊具があって、無料で遊べるるから保護者にとっては助かりますね。
安平町は2006年3月に早来町と追分町が合併して出来た新しい町で、道の駅はここ旧追分町にあり、町役場は旧早来町にあります。

道の駅の内部へ入ってみましょう。建物内はフリーWi-Fiが効いています。売店、お土産物屋さん、レストラン、パン屋さんが入っているし、外にはキッチンカーや別な建物では地物野菜などを販売。

この建物の奥には蒸気機関車が展示しています。文字通りの「あびらD51 ステーション」なのです。
このマンホールはかっこいい!

で、蒸気機関車と対面。D51 320号車。Dは動輪が4つあることを意味しています。例えばAは1つ、Bは2つ、Cは3つ。51は形式番号でこの形は大型の貨物輸送を目的に製造されています。
320は、そのD51の320番目に製造された番号。D51 は多数製造されたため多くの車両が存在しているのです。旧国鉄で使用されていて、製造年は1935~1945年の間で、何と!1115両も生産されたとか。1000両以上あったんですね。

記念撮影用に顔出しパネルもありますよ。

現在もある追分駅。室蘭本線と石勝線が乗り入れています。

かつて追分駅は、鉄道の町として大勢の国鉄職員がいましたが、車社会になってからは大幅に縮小されて衰退。有人駅ですが追分駅には鉄道マンはわずかしかいません。夕張駅まで行っていた夕張線も廃止されています。

夕張は炭鉱町でその石炭を燃料に蒸気機関車が走っていたんですね。
今ではレトロな汽車として観光客は喜ぶでしょうが、自分は蒸気機関車に良い印象がないのです。
子どもの時に乗った蒸気機関車はトンネルに入ると、黒い煤が車内に入るので直前に窓を閉めなければいけないのですが、それが遅れるとあっという間に黒煤が入り込み顔が黒くなってしまうからです。
1回か2回の悪い印象のせいで、蒸気機関車には良いイメージがないのです。

明治時代の頃からの歴史を紹介していますね。石炭輸送が盛んになるにつれて町が発展していった歴史です。だからエネルギー革命により石炭から石油になり、夕張の次々と炭鉱が潰れていき、さらにモータリゼーションによって鉄道から車へ変わり、追分も衰退していったのです。

でも、今は日本遺産の炭鉄港として、かつての歴史を見直しされています。

夕張、三笠、美唄、歌志内、芦別などの空知地方で採掘された石炭、小樽や室蘭の港から全国へと輸送され、室蘭では製鉄業も盛んに。そんなかつての産業を紹介しているのが炭鉄港です。

最後に、鉄道が果たした追分の役割。

次回も、ここ道の駅「あびらD51ステーション」を紹介し、夏の旅6月編を終わることにします。
秋の旅本州編は10月2日スタート。青森県へ渡りドンドン南下していきます。 2025年秋の旅は、何処へ行くのか?それは10月2日から始まるこのblogをお楽しみにしてください!
では、また次回にお会いできるのを楽しみにしております。
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