10月5日日曜日、天気は曇りですが最高気温は25℃と今日も夏日。10月に夏日が3日以上あるなんて、やっぱり今年は異常に暑いことが分かります。
さて、ここは奥尻島の最南端地区の青苗、青苗岬にある奥尻島津波館です。
ここは津波に関するものではなく奥尻島の歴史に関するもので、およそ8000年前の縄文時代早期の遺物が展示されています。

丁字頭勾玉(ちょうじがしら まがたま)と呼ばれているものがそう。1976年に青苗遺跡の発掘調査で発見された勾玉で、墓に葬られた人物の胸のあたりに置かれていたそうです。
鑑定では、糸魚川のヒスイを用いて奥尻島へもたらされたもので、当時から船での行き来があったことを裏付けるものとして貴重な勾玉なのです。

津波の被害に戻りましょう。地震は1993年7月12日午後10時17分に発生。北海道南西沖の深さ34㎞を震源とするもので、その津波は北海道の南西部、渡島半島の日本海側を襲いました。

死者・行方不明者合わせて198名にも及びました。それから8年後にここはオープンしたもので、災害の記憶を忘れないために、それを学んだ教訓を後世に残すために建てられたのです。

倒れた青苗灯台。高台にあるにも関わらず津波は襲い、倒したのです。

窓から現在の青苗灯台を見ましょう。今は見事に再建されて建っていますが、あの時は津波の前になすすべもなく倒壊したのでした。

映像コーナーもあって、およそ20分の当時の迫力ある映像を見ることが出来ます。

雨の中をホテルまで帰りましたが、夜通し激しい雨と風。ホテルで良かった!と。翌朝、とある丘の上へ。下には昨日見学した奥尻島津波館が見えています。白い軽自動車が私が借りたレンタカーのダイハツ・タント。タイヤがすり減っていて、糸が見えるくらい。これじゃ、車検は通らないだろう!と思うほどのツルツルの古タイヤ。

時空翔と呼ばれる丘。津波の被害者を弔うためのモニュメントがあります。

この巨大なオブジェがそう。灯台が高台にあるのが分かりますね。最大30mもの津波が襲ったのだから、灯台にも達しています。

これって、何を意味しているのだろう?真ん中が凹んでいる空飛ぶ円盤?

次回は、もっとこの公園を見ることにします。
では、また次回にお会いできるのを楽しみにしております。
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さて、ここは奥尻島の最南端地区の青苗、青苗岬にある奥尻島津波館です。
ここは津波に関するものではなく奥尻島の歴史に関するもので、およそ8000年前の縄文時代早期の遺物が展示されています。

丁字頭勾玉(ちょうじがしら まがたま)と呼ばれているものがそう。1976年に青苗遺跡の発掘調査で発見された勾玉で、墓に葬られた人物の胸のあたりに置かれていたそうです。
鑑定では、糸魚川のヒスイを用いて奥尻島へもたらされたもので、当時から船での行き来があったことを裏付けるものとして貴重な勾玉なのです。

津波の被害に戻りましょう。地震は1993年7月12日午後10時17分に発生。北海道南西沖の深さ34㎞を震源とするもので、その津波は北海道の南西部、渡島半島の日本海側を襲いました。

死者・行方不明者合わせて198名にも及びました。それから8年後にここはオープンしたもので、災害の記憶を忘れないために、それを学んだ教訓を後世に残すために建てられたのです。

倒れた青苗灯台。高台にあるにも関わらず津波は襲い、倒したのです。

窓から現在の青苗灯台を見ましょう。今は見事に再建されて建っていますが、あの時は津波の前になすすべもなく倒壊したのでした。

映像コーナーもあって、およそ20分の当時の迫力ある映像を見ることが出来ます。

雨の中をホテルまで帰りましたが、夜通し激しい雨と風。ホテルで良かった!と。翌朝、とある丘の上へ。下には昨日見学した奥尻島津波館が見えています。白い軽自動車が私が借りたレンタカーのダイハツ・タント。タイヤがすり減っていて、糸が見えるくらい。これじゃ、車検は通らないだろう!と思うほどのツルツルの古タイヤ。

時空翔と呼ばれる丘。津波の被害者を弔うためのモニュメントがあります。

この巨大なオブジェがそう。灯台が高台にあるのが分かりますね。最大30mもの津波が襲ったのだから、灯台にも達しています。

これって、何を意味しているのだろう?真ん中が凹んでいる空飛ぶ円盤?

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