10月18日土曜日、天気は曇り時々晴れでしたが、夕方からは小雨へ。
昨夜は、山形市の道の駅「蔵王やまがた」で車中泊。朝5時半起床し、7時は出発。険しい山道の笹山峠を越えて、ここは山頂。西を見ると山形市街地を遠望出来ます。標高は1000m近い峠。

峠には駐車場があって、朝早くから登山者で賑わっているのは、ここから登れる山があるから。北にも南にも山があって、どちらも蔵王連峰の山々です。

峠を降りてからはひたすら東へ。今日は岩手県陸前高田市まで行くつもりだから。
途中、道の駅「おおさと」で休憩。

マンホールはホタルは分かるけど、不思議な顔は何?大郷町のキャラクター?

11時で早いけど、ランチタイムへ。味噌カツ丼が名物らしく、ご飯大盛り無料なので注文していただきます。750円でした。

そして、いつものように石巻市大川小学校跡地へ。何十回も来ているけど、やはり三陸へ来たら、必ず寄ることにしています。

多くの児童と教職員が犠牲になって大川小学校。

どうして裏山へ逃げなかったのか?

グランドらか、ほんの100mほどの距離で、低学年の子供でも登れます。現に、震災前には裏山でキノコ採りが行われていたのです。

ちょっとした高台へ。学校が見渡せます。

学校の奥には、最近出来た巨大なビニールハウスがいくつもあって、これは何かの栽培が行われているのか?

当時、学校幹部たちは40分もグランドで待機して、挙句の果てには左の北上川に架かる橋へ行こうとして、津波の被害に遭遇したのです。下に津波到達点の白い看板あり。
だから、ここまで逃げれば全員助かったのです。

平生13年度の子供たちが残した卒業絵画。世界中の子どもたちが手を繋いでいて、平和そのもの。でも、現実はあちこちで戦争があり、子どもたちは亡くなっていて、平和じゃない!

上が高台だから、5分歩いて逃げていれば大丈夫だったのに。

南三陸町で、モアイ像と遭遇。左は震災後に、チリ政府がイースター島の石で作製したものを送ってくれたモアイ像です。

で、南三陸町から無料の三陸自動車道へ乗り、一挙に岩手県陸前高田市へ。ここへは工事中から何度も来ています。なかなか工事が終わらなくて、今年の春も完成間近だったけど、見学できず。

江戸時代、この辺一体の気仙地方の大肝入(地方知事みたいな存在)の吉田家を復元した建物です。南部藩との境界に当たるこの地方で、吉田家は行政や税、裁判などすべてを取り仕切った、いわば最高権力者だった人物で、それが江戸260年を10代に渡り吉田家が独占したのだから、すごいのです。

詳しくはこちらをご覧あれ!

主屋の裏には味噌蔵など3つの蔵があったけど、今は津波の被害でないです。

陸前高田市へ来る度毎に工事していて、14年も費やしたとか。やっと見ることが出来て感激です。春まで無料で、4月以降は300円の有料施設になります。

部屋は10以上もあって、時には御殿様の伊達家の大名が宿泊する時もあったとか。さらには、スタッフの方たちの宿泊も世話したとか。

畳の匂いがプンプンしてます。


部屋の見取り図ですが、一分2階もあります。

高さにすれば3階建てで、釘一本使用していない、まさに気仙大工の見事な傑作作品です。だからこそ14年もの歳月がかかったのでしょうね。

天井が高い。

向かいの家は吉田家の親戚の家とか。係の方によると、本家の人は陸前高田市市街地に住まわれている、と。

マンホールも吉田家住宅。

最後に、もう一度吉田家住宅を‼️

今夜は陸前高田市の道の駅で車中泊します。
では、また明日お会いしましょう❗️
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昨夜は、山形市の道の駅「蔵王やまがた」で車中泊。朝5時半起床し、7時は出発。険しい山道の笹山峠を越えて、ここは山頂。西を見ると山形市街地を遠望出来ます。標高は1000m近い峠。

峠には駐車場があって、朝早くから登山者で賑わっているのは、ここから登れる山があるから。北にも南にも山があって、どちらも蔵王連峰の山々です。

峠を降りてからはひたすら東へ。今日は岩手県陸前高田市まで行くつもりだから。
途中、道の駅「おおさと」で休憩。

マンホールはホタルは分かるけど、不思議な顔は何?大郷町のキャラクター?

11時で早いけど、ランチタイムへ。味噌カツ丼が名物らしく、ご飯大盛り無料なので注文していただきます。750円でした。

そして、いつものように石巻市大川小学校跡地へ。何十回も来ているけど、やはり三陸へ来たら、必ず寄ることにしています。

多くの児童と教職員が犠牲になって大川小学校。

どうして裏山へ逃げなかったのか?

グランドらか、ほんの100mほどの距離で、低学年の子供でも登れます。現に、震災前には裏山でキノコ採りが行われていたのです。

ちょっとした高台へ。学校が見渡せます。

学校の奥には、最近出来た巨大なビニールハウスがいくつもあって、これは何かの栽培が行われているのか?

当時、学校幹部たちは40分もグランドで待機して、挙句の果てには左の北上川に架かる橋へ行こうとして、津波の被害に遭遇したのです。下に津波到達点の白い看板あり。
だから、ここまで逃げれば全員助かったのです。

平生13年度の子供たちが残した卒業絵画。世界中の子どもたちが手を繋いでいて、平和そのもの。でも、現実はあちこちで戦争があり、子どもたちは亡くなっていて、平和じゃない!

上が高台だから、5分歩いて逃げていれば大丈夫だったのに。

南三陸町で、モアイ像と遭遇。左は震災後に、チリ政府がイースター島の石で作製したものを送ってくれたモアイ像です。

で、南三陸町から無料の三陸自動車道へ乗り、一挙に岩手県陸前高田市へ。ここへは工事中から何度も来ています。なかなか工事が終わらなくて、今年の春も完成間近だったけど、見学できず。

江戸時代、この辺一体の気仙地方の大肝入(地方知事みたいな存在)の吉田家を復元した建物です。南部藩との境界に当たるこの地方で、吉田家は行政や税、裁判などすべてを取り仕切った、いわば最高権力者だった人物で、それが江戸260年を10代に渡り吉田家が独占したのだから、すごいのです。

詳しくはこちらをご覧あれ!

主屋の裏には味噌蔵など3つの蔵があったけど、今は津波の被害でないです。

陸前高田市へ来る度毎に工事していて、14年も費やしたとか。やっと見ることが出来て感激です。春まで無料で、4月以降は300円の有料施設になります。

部屋は10以上もあって、時には御殿様の伊達家の大名が宿泊する時もあったとか。さらには、スタッフの方たちの宿泊も世話したとか。

畳の匂いがプンプンしてます。


部屋の見取り図ですが、一分2階もあります。

高さにすれば3階建てで、釘一本使用していない、まさに気仙大工の見事な傑作作品です。だからこそ14年もの歳月がかかったのでしょうね。

天井が高い。

向かいの家は吉田家の親戚の家とか。係の方によると、本家の人は陸前高田市市街地に住まわれている、と。

マンホールも吉田家住宅。

最後に、もう一度吉田家住宅を‼️

今夜は陸前高田市の道の駅で車中泊します。
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