11月6日木曜日、天気は晴れで最高気温は昨日同様に16℃まで上がる秋晴れの1日です。最低気温も6℃だからそれほど寒いわけじゃなく、過ごしやすい日となってます。
さて、能登半島の輪島市旧門前町(2006年2月1日に門前町は輪島市に吸収合併されています)へ来ていて、前回は曹洞宗の総本山だった現在は祖院となっている総持寺を見学しましたが、今回はその総持寺の境内及び周辺を散策したことを紹介いたします。
まずは、峨山道から。

峨山道とは何か?ということ。昔々に本山の二代目の和尚がいて、彼は50㎞も南にある現在の羽咋町にある永光寺の四代目和尚も兼ねていました。彼は朝永光寺でお勤めを果たすと、何と!険峻な山道が続く能登半島、それの山道を走り北50㎞にあるここ総持寺へ駆けつけて朝のお勤めをした!!と。
50㎞、それも今で云うトレイルランニングを、それも当時はそれに合わせたシューズではなく足袋で走って来たのだから、さらにはランニングウエアではなく袈裟を着てだから、すご~い!と言わざるを得ません。

この道がそうらしい。今は舗装されているけど当時は砂利道の山道で、獣も出たでしょうね。今もあちこちにクマが出没していて危険ですが、当時はもっと野獣は多かったはず。例えば、イノシシ(これは今もいますね)、オオカミ?1000年前にこの辺りにいたのか?どうかは分かりませんが。クマは当時もいたはず。さらには山賊?これは江戸時代でもいましたね。それに山道を整備しているのかどうか?
草ぼうぼうで定期的に草刈りをしなきゃ、道は荒れ果ててしまいますからね。

ただ、2007年と2024年の大地震で道路はご覧のように一部崩壊していて、穴ぼこだらけ。多分、この先もそうでしょうね。
その和尚の名前に峨山がついていたので、峨山道と付けたのですね。誰でもが真似出来るわけではなく、そんな50㎞を毎朝走るなんて、彼一人だけだったはずです。

総持寺にはあちこちにパワースポットがあって、ここもその一つ。味噌摺り地蔵。
修行していた味噌を摺る小僧がいて、彼は長野の善光寺参りがただ一つの願いだったとか。ある日、ある地蔵に願掛けして総持寺を抜け出して善光寺へ。それでも、彼も留守中は味噌を摺る小僧の姿があったとか。まじめな小僧の願いを得て、地蔵さんが身代わりになっていたので、この地蔵さんの名を「味噌摺り地蔵」と呼んだとか。

こちらは「おそうじ小僧」。詳しくは説明板をご覧あれ。

門を出て振り返ると、やはり地震の影響でしょう。多くの石が崩れていて、見るも無残な有様で、地震から1年半以上経過しているのに、いまだ復旧していないのです。

となりには門前高校があります。門前高校と云えば、20年ほど前かな?フジテレビ系列である番組に取り上げられていました。高校の全国大会でソフトボール部が優勝し、その監督を務めていた人や練習風景が1時間番組で紹介され、感動したことがありました。
あれから20年経過してどうなったのか?今は生徒数も激減して部を維持することすら難しくなってきてて、活動しているのかどうかすら分かりません。

学校の敷地を囲む塀が、まるで武家屋敷みたい。フェンスなんてものじゃないです。すごい!

ということで、門前町には曹洞宗の大本山祖院である総持寺があって、まさにここの町は「門前町」そのもの。名前の通りの町でした。
次回は、能登半島の西海岸を周りきれいな海岸線を辿ります。
では、また次回にお会いできるのを楽しみにしております。
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さて、能登半島の輪島市旧門前町(2006年2月1日に門前町は輪島市に吸収合併されています)へ来ていて、前回は曹洞宗の総本山だった現在は祖院となっている総持寺を見学しましたが、今回はその総持寺の境内及び周辺を散策したことを紹介いたします。
まずは、峨山道から。

峨山道とは何か?ということ。昔々に本山の二代目の和尚がいて、彼は50㎞も南にある現在の羽咋町にある永光寺の四代目和尚も兼ねていました。彼は朝永光寺でお勤めを果たすと、何と!険峻な山道が続く能登半島、それの山道を走り北50㎞にあるここ総持寺へ駆けつけて朝のお勤めをした!!と。
50㎞、それも今で云うトレイルランニングを、それも当時はそれに合わせたシューズではなく足袋で走って来たのだから、さらにはランニングウエアではなく袈裟を着てだから、すご~い!と言わざるを得ません。

この道がそうらしい。今は舗装されているけど当時は砂利道の山道で、獣も出たでしょうね。今もあちこちにクマが出没していて危険ですが、当時はもっと野獣は多かったはず。例えば、イノシシ(これは今もいますね)、オオカミ?1000年前にこの辺りにいたのか?どうかは分かりませんが。クマは当時もいたはず。さらには山賊?これは江戸時代でもいましたね。それに山道を整備しているのかどうか?
草ぼうぼうで定期的に草刈りをしなきゃ、道は荒れ果ててしまいますからね。

ただ、2007年と2024年の大地震で道路はご覧のように一部崩壊していて、穴ぼこだらけ。多分、この先もそうでしょうね。
その和尚の名前に峨山がついていたので、峨山道と付けたのですね。誰でもが真似出来るわけではなく、そんな50㎞を毎朝走るなんて、彼一人だけだったはずです。

総持寺にはあちこちにパワースポットがあって、ここもその一つ。味噌摺り地蔵。
修行していた味噌を摺る小僧がいて、彼は長野の善光寺参りがただ一つの願いだったとか。ある日、ある地蔵に願掛けして総持寺を抜け出して善光寺へ。それでも、彼も留守中は味噌を摺る小僧の姿があったとか。まじめな小僧の願いを得て、地蔵さんが身代わりになっていたので、この地蔵さんの名を「味噌摺り地蔵」と呼んだとか。

こちらは「おそうじ小僧」。詳しくは説明板をご覧あれ。

門を出て振り返ると、やはり地震の影響でしょう。多くの石が崩れていて、見るも無残な有様で、地震から1年半以上経過しているのに、いまだ復旧していないのです。

となりには門前高校があります。門前高校と云えば、20年ほど前かな?フジテレビ系列である番組に取り上げられていました。高校の全国大会でソフトボール部が優勝し、その監督を務めていた人や練習風景が1時間番組で紹介され、感動したことがありました。
あれから20年経過してどうなったのか?今は生徒数も激減して部を維持することすら難しくなってきてて、活動しているのかどうかすら分かりません。

学校の敷地を囲む塀が、まるで武家屋敷みたい。フェンスなんてものじゃないです。すごい!

ということで、門前町には曹洞宗の大本山祖院である総持寺があって、まさにここの町は「門前町」そのもの。名前の通りの町でした。
次回は、能登半島の西海岸を周りきれいな海岸線を辿ります。
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