9月2日水曜日、天気は曇りで最高気温は24℃、最低気温は19℃。天気予報では雨のマークだったけど、昨夜は雨が降っていたけど、今朝からはどんよりした天気が続いていて雨は降らず。となりの青森県では豪雨になっていて線状降水帯が形成されて、まるで先日の北陸のように被害も出ている様子です。
さて、しばらく遠ざかっていた「夏の旅」の23回目最終回をお伝えいたします。
ここは浜頓別(はまとんべつ)町から枝幸(えさし)町まで走っていた旧国鉄の興浜北線(こうひんほくせん)の斜内駅跡。

1936年に開業し1985年に廃止された興浜北線。全長30.4㎞、駅数は9つ。全線非電化単線の超ローカル線でした。ここは浜頓別駅から4つ目の斜内駅でしたが、周囲には民家は数軒と云った感じで、民営化される前に廃止されたのも頷きますね。
駅舎の根元にあった「600」の数字は何だろう?
もっとも、この路線はオホーツク海沿いを走っていて、紋別市と雄武(おうむ)町を結んでいた興浜南線とつないで、オホーツク線になる予定だったけど、赤字路線だったので廃止された経緯があるのです。路線の無かった枝幸町と雄武町の距離は50㎞以上あって、それを結ぶだけでも相当の予算が必要だったから、最初から無理だったのかもしれません。
興浜北線と興浜南線の興は興部(おこっぺ)町から、浜は浜頓別町から来ています。

浜頓別町最南端にして枝幸町最北端のの神威岬へ。地図を見れば三角形が海に突き出ているような形です。

白と黒のまだらな色を成した灯台。裏は険しい崖ですが、この灯台を周りこむような形で鉄道が走っていたのです。
この岩山を貫いて国道238号線はトンネルで走りますが、旧国道は岬を周りこむように道が造られているので、自分はここまで来れたのです。

ホントに険しい岩山。昔はここにトンネルを造れなかったのでしょうか?

神威岬から1㎞程で神威岬公園へ。北見神威岬とあるのは、積丹半島の神威岬と混同しないためでしょう。神威(かむい)とは、アイヌ語で「神」や高位の霊的な存在を意味する言葉で、アイヌ人たちは動物や植物、火や水、道具、自然現象など、人間を取り巻くあらゆるものに魂(精神)が宿っていると考えて、それらを敬ってカムイと呼んでいたのです。

チャシもあったんですね。チャシは日本百名城(北海道では函館の五稜郭と並び2つあります)の一つになっていて、アイヌ人の城、というよりは砦に近い形があった地です。
もっとも、百名城になっているチャシは根室半島のチャシ跡群ですので、ここは入りません。

名勝ピリカノカは、神威岬が見える地。

1㎞程北にある岬ですね。岬を周りここまでやって来ました。ここも旧興浜北線が走っていたのです。

続いて枝幸町のウスタイベ千畳岩へ。そうそう、何度も枝幸町と書いていますが、江差町といえば、道南の「ソーラン節」や「江差追分」で知られる江差町ですが、道北には同じ発音で枝幸町もあるのです。

確かに畳1000枚分以上はありそうな岩です。海はオホーツク海。とても真夏でも海水浴場にはならない冷たい海水。

神威岬からは10㎞以上は南下してきています。

ここは無料のキャンプ場になっていて、トイレ、水場も完備。

で、枝幸町の市街地へやって来ました。バスターミナルの前にあったのが、旧北見枝幸駅跡の石碑です。

そして駅前には「一級食堂」という名の駅前食堂があったのです。が、営業はとっくの昔に終えてしまっていました。

夏の旅の写真はここまで。
この日は興部町の道の駅で車中泊したのですが、右腕から肩にかけての帯状疱疹が激しく出て来て、痛痒い状態で次の日は紋別市の病院へ。そこで薬(最新の帯状疱疹の薬で二割負担でも6000円以上)を処方して頂き、一気に函館まで750㎞走って(ほとんど自動車道で、平日だったので料金は8000円以上)帰宅したのでした。
秋の旅は10月に予定していて、9月はその準備中。しばらく旅は出来ませんが、それまではミニ旅をして函館や近郊を紹介しますのでお楽しみに。
では、また次回にお会いできるのを楽しみにしてしております。
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さて、しばらく遠ざかっていた「夏の旅」の23回目最終回をお伝えいたします。
ここは浜頓別(はまとんべつ)町から枝幸(えさし)町まで走っていた旧国鉄の興浜北線(こうひんほくせん)の斜内駅跡。

1936年に開業し1985年に廃止された興浜北線。全長30.4㎞、駅数は9つ。全線非電化単線の超ローカル線でした。ここは浜頓別駅から4つ目の斜内駅でしたが、周囲には民家は数軒と云った感じで、民営化される前に廃止されたのも頷きますね。
駅舎の根元にあった「600」の数字は何だろう?
もっとも、この路線はオホーツク海沿いを走っていて、紋別市と雄武(おうむ)町を結んでいた興浜南線とつないで、オホーツク線になる予定だったけど、赤字路線だったので廃止された経緯があるのです。路線の無かった枝幸町と雄武町の距離は50㎞以上あって、それを結ぶだけでも相当の予算が必要だったから、最初から無理だったのかもしれません。
興浜北線と興浜南線の興は興部(おこっぺ)町から、浜は浜頓別町から来ています。

浜頓別町最南端にして枝幸町最北端のの神威岬へ。地図を見れば三角形が海に突き出ているような形です。

白と黒のまだらな色を成した灯台。裏は険しい崖ですが、この灯台を周りこむような形で鉄道が走っていたのです。
この岩山を貫いて国道238号線はトンネルで走りますが、旧国道は岬を周りこむように道が造られているので、自分はここまで来れたのです。

ホントに険しい岩山。昔はここにトンネルを造れなかったのでしょうか?

神威岬から1㎞程で神威岬公園へ。北見神威岬とあるのは、積丹半島の神威岬と混同しないためでしょう。神威(かむい)とは、アイヌ語で「神」や高位の霊的な存在を意味する言葉で、アイヌ人たちは動物や植物、火や水、道具、自然現象など、人間を取り巻くあらゆるものに魂(精神)が宿っていると考えて、それらを敬ってカムイと呼んでいたのです。

チャシもあったんですね。チャシは日本百名城(北海道では函館の五稜郭と並び2つあります)の一つになっていて、アイヌ人の城、というよりは砦に近い形があった地です。
もっとも、百名城になっているチャシは根室半島のチャシ跡群ですので、ここは入りません。

名勝ピリカノカは、神威岬が見える地。

1㎞程北にある岬ですね。岬を周りここまでやって来ました。ここも旧興浜北線が走っていたのです。

続いて枝幸町のウスタイベ千畳岩へ。そうそう、何度も枝幸町と書いていますが、江差町といえば、道南の「ソーラン節」や「江差追分」で知られる江差町ですが、道北には同じ発音で枝幸町もあるのです。

確かに畳1000枚分以上はありそうな岩です。海はオホーツク海。とても真夏でも海水浴場にはならない冷たい海水。

神威岬からは10㎞以上は南下してきています。

ここは無料のキャンプ場になっていて、トイレ、水場も完備。

で、枝幸町の市街地へやって来ました。バスターミナルの前にあったのが、旧北見枝幸駅跡の石碑です。

そして駅前には「一級食堂」という名の駅前食堂があったのです。が、営業はとっくの昔に終えてしまっていました。

夏の旅の写真はここまで。
この日は興部町の道の駅で車中泊したのですが、右腕から肩にかけての帯状疱疹が激しく出て来て、痛痒い状態で次の日は紋別市の病院へ。そこで薬(最新の帯状疱疹の薬で二割負担でも6000円以上)を処方して頂き、一気に函館まで750㎞走って(ほとんど自動車道で、平日だったので料金は8000円以上)帰宅したのでした。
秋の旅は10月に予定していて、9月はその準備中。しばらく旅は出来ませんが、それまではミニ旅をして函館や近郊を紹介しますのでお楽しみに。
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